化粧品っていいものだと母が教えてくれた

もともと子どもが好きで幼稚園の先生をしていたこともあり、情操教育の一環と考えたのか、私も幼稚園の頃からオルガン教室へ通わされました。教員の家庭で余裕もないのに、小学校に入るとピアノまで買ってくれて。田舎の学校なので「男がピアノなんてカッコ悪い」と友だちから、からかわれるのがイヤで、小5で教室をやめてしまいました。

ところがおかしなもので、子ども時代、母親にピアノを習わされなければ、たぶん私は化粧品業界に入っていなかっただろうと思います。

(左)父親は小・中学校の教師で陸上部の監督。鹿角郡は鉱山の町で、一家も鉱山で働く人たちが住む長屋で暮らした。妹が誕生したときの家族写真。(右)幼稚園時代、母親と運動会で一緒に走った懐かしい思い出。上京するとき、母から渡されたアルバムをずっと大事にしている。

今でも覚えているのは、ピアノの教室へ行くとき、おふくろがいつも頭をくんくん嗅いで、「頭が臭うよ」と言われたこと。あの頃は風呂が家の中でなく外にあったので、冬は寒いし、面倒くさいので頭も洗わず、汗臭かったのでしょう。おふくろはポーラの化粧品を使っていて、そのヘアトニックを頭にちょっとつけてくれたのです。すると、フワッといい香りがして“化粧品って、いいもんだな”と(笑)。子どもながらにうれしかったものです。さらに中学生になると顔のニキビがひどくなり、つい気になって潰してしまう。それで母親がニキビ用の化粧水を付けてくれたところ、あっという間にきれいになったのです。ポーラの化粧品を愛用する母のもとには「ビューティ専科」という美容情報誌も届き、居間の卓袱台(ちゃぶだい)によく置いてありました。それを見ると東京の匂いがするような気がして、かすかな都会への憧れも持ったものです。

大学進学とともに上京し、就職活動をするなかで、唯一受けた化粧品会社がポーラでした。面接では子どもの頃の思い出を話し、入社の内定をもらいましたが、実はいちばん反対したのが母親だったのです。「おまえには営業センスがないから、化粧品を売るなんて無理だろう」と。俺が直接販売をするわけじゃないと説明したのですが、親心としては心配でたまらなかったようです。

それでも帰省すると、母親にもよく仕事の話をしていました。新商品が出るとプレゼントすることも欠かさず、なにより喜んでくれたのが香水です。「ランコントレ」という名の香水で、青いガラスの容器がとてもきれいだったことと、母親に似合いそうに思えて選びました。おふくろも、好きな香りだと喜び、大切に使ってくれました。