完璧にできない辛さに耐えてこそプロ

最初に入社したのが業界でも大手の生命保険会社でしたから、大きな会社の仕組みも一応わかる。そして次の会社は、ほとんどスタートアップのような状態から関わってきましたから、小さい会社の仕事の進め方もよくわかる。これは作家の仕事に生きています。よくいわれますが、作家になるなら、より「遠回り」をすることだと思います。

――直木賞受賞作の『蜜蜂と遠雷』は新人の登竜門とされるピアノコンクールを描いている。構想12年、執筆7年の大作だ。著者は天才ピアニストたちの姿を通じて「才能とは何か」を問いかけている。

この小説のために、さんざんコンクールに通って演奏を聴きながら考えたんですけど、才能というのは「続けられる」ことだと思うんです。すべての仕事に共通していますよね。ある意味の鈍感さ、しぶとさを持った人が才能のある人です。

演出家の鴻上尚史さんがこう言いました。完璧を目指して演技をし、ちょっとでも失敗すると「もう駄目だ」と投げ出してしまう役者がいるが、間違っている。プロというのは、完璧な条件のないときでも、必ず平均点以上の演技をする役者のことだ。完璧にできないことは辛いけど、その辛さに耐えて投げやりになったりしないのがプロなんだと。

この言葉に、いたく共感しました。常に完璧を目指すけれども、なかなかそうはいかない。それでも平均点は維持し、完璧でない惨めさに耐えていく。作家も同じです。満足できる一作ができなければ出さないという人もいる。でも、寡作で傑作なのは当たり前。私は量を伴ってこその才能だと信じています。

もちろん自分でも実践しているつもりです。常に必死で書いていて、平均点ギリギリのところを低空飛行しています。ですから私、スランプってないんですよ。スランプがあるということは、すごくいい時期があるということです。いい時期なんて、私にはないですから(笑)。

直木賞授賞式で作家の仕事を長距離列車の運転士にたとえました。直木賞というターミナルに停車したあと、どこまで行くつもりかとよく聞かれますが、私にもわかりません。とにかく、これからも行けるところまで行ってみるつもりです。