恩田陸さんの小説『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)が「2017年本屋大賞」に選ばれました。同作は17年上期の直木賞を受賞しており、史上初の両賞「ダブル受賞」となります。また、恩田さんは05年に『夜のピクニック』で本屋大賞を受賞しており、同賞の複数回受賞という点でも初の快挙です。「プレジデントウーマン」では直木賞の授賞式直後にインタビューを行い、17年5月号に掲載しました。ここでは「本屋大賞」とのダブル受賞を記念して、雑誌に掲載した記事をお届けします。デビューから25年間の歩みについて、たっぷりうかがっています。ぜひご覧ください。(聞き手・構成=面澤淳市 撮影=永田忠彦)

新卒では「大手生保」で残業の毎日

このたびようやく直木賞をいただきました。何回も「候補になっては落ち」を繰り返していたので、周囲のみんなには「取ってくれてほっとした」と言われています。私自身もほっとしています(笑)。

子どもの頃から本を読むのが大好きで、今も年間300冊は読んでいます。ただ、本を書く人になりたかったのかと問われると、そこまで強い思いはなかった。大学を出たときは普通の会社員として大手の生命保険会社に就職しました。

入社は1987年、男女雇用機会均等法の1期生です。会社からは総合職で受けないかと誘われたのですが、「社会の基礎は事務だと思いますから!」と主張して、一般職で入りました。ちょうど生保業界にシステム化の波がやってきたところで、ものすごく忙しかった。ひたすら残業、残業ですよ。

アナログの作業とデジタル化の作業を並行してやっていたので、とにかくものすごい作業量でした。当時、生保は銀行に比べてシステム化が10年は遅れているといわれていましたから、短期間で追いつこうとしてかなり無茶なスケジュールでした。休日出勤しても、まるで仕事が終わらない。チームの誰かが毎月、代わる代わる倒れてましたね。私も2年目に体を壊して入院し、いったん復帰したのですが、4年勤めたところで会社を辞めました。

――転機が訪れたのはこの時だった。時間ができたのを機に初めての小説「六番目の小夜子」を書き上げ、90年、新潮社の文学賞「日本ファンタジーノベル大賞」に応募。この作品が最終選考に残ったことで、作家デビューへの道が開けた。

応募したときは、まさかすぐにデビューできるとは思っていませんでした。でも、運よく『六番目の小夜子』を出版してもらうことができ、担当編集者がついて、ちょっとずつ小説を書いていきました。

といっても、最初の頃は会社に勤めながら書く兼業作家です。生保を辞めたあとすぐに人材派遣会社に登録して、不動産会社で働き始めました。大手不動産会社の賃貸住宅管理会社で、いわゆる等価交換方式でマンションを建設し、貸主となって管理を引き受け、各エリアの不動産会社にお客さんを付けてもらうというのが当時のビジネスでした。私は営業事務をやっていたんですが、派遣契約を何度か更新したあと、数年後に正社員になりました。

ここは大手の系列ですが事業を開始してから比較的新しい会社で、当時はまだこぢんまりしていました。それが見る見るうちに仕事が増えて大きくなっていきました。私のいた部署はすごく仲がよくて、優秀な営業マンがそろっていたので成績もよく、息もぴったりで勢いがありました。忙しいのは忙しいんだけれど、楽しかったですね。