33歳まで「会社員兼作家」だった理由

――この当時はあくまでも会社員が主で、作家は従。「恩田陸」はペンネームであり、顔写真も公開していなかったので、社内の誰にも「副業」のことは知られていなかったという。だが、小説の注文が増え、作家の仕事にも手ごたえを感じ始めていた頃、複数の編集者からほぼ同時にあることを勧められた。

30歳を過ぎた頃でした。いろんな編集者から「そろそろ会社を辞めたらどうですか」と言われたんです。新人のときは「作家専業で食べていける人なんてまずいないんですから、辞めないでくださいね」と念押しされるのがふつうです。これはみんながプロとしてやっていけると判断してくれたのだなと。それで33歳のときに専業作家になりました。

(上)2月、都内ホテルで行われた授賞式にて。(下)受賞作の『蜜蜂と遠雷』は、着想から12年をかけて書き上げた大作。

でも、独り立ちするのはとても不安でした。この先注文が来るのか、書き続けられるのか。そういう不安に加えて、会社を辞めれば社会との接点をなくしてしまったような気持ちになる。実を言うと、今でも精神衛生的には兼業作家だった頃がいちばんよかったなあと思います。

独立を機に、「営業」のためのパーティーを開きました。西新宿のレストランを借りて、各社の編集者に集まってもらい、当時温めていた小説の企画を10本くらいレジュメにして配りました。10本はそれぞれミステリーだったりSFやホラーだったりと、系統の異なる小説です。

「みなさまの媒体で書かせていただけませんか」と、おそるおそるお願いしたら、そのうち7本ほどに買い手がつきました。おもしろいことに、競合したものはなくて、それぞれ別の出版社が引き受けてくれたんです。これはありがたかった。

私は会社員の家庭で育ったので、フリーの仕事というのが全く想像できませんでした。独立するにあたって、なんとか仕事を確保しなくちゃいけないというのがあったんでしょうね。自分も営業系の会社員生活が長かったせいかもしれません。