「男らしさ」の根源は「セックスでの満足」なのか?

【河崎】私としては「乙武さん問題」がすごく大きい(参考記事:弱者とは誰か?――乙武洋匡不倫騒動)。ほぼ同じ年なのですが、お会いしたときに受け取っていた印象とその後の報道に齟齬(そご)はなかった。「ああ、やっぱり」と、ものすごく腑に落ちたんです。ネットの反応で興味深かったのは「乙武でさえ、あんなにモテている」という書き込みが、2ちゃんねるに並んでいたこと。「なぜ不倫したのか?」ではなく「どうやって不倫したのか」、「why」ではなく「how」の話を一生懸命している(笑)。それほどまでに世の男性にとって「セックスに満足している」という状態は勝利なのか? そんなに衝撃なのか? と、男と女の彼岸と此岸を感じました(笑)。

【常見】「男」であるというか、セックスは男にとって大事な問題だと思いますよ。リクルート時代の先輩と飲みに行ったら、いきなり「おう、常見、セックスしてるか?」と聞いてきましたからね(笑)。その後、不倫話や男らしくあるための薬の活用話をさんざん聞かされて、「はぁ……元気ですね。」という感じでした。

千葉商科大学専任講師 常見陽平氏

【河崎】「男性にとってのセックス」というテーマを考えていたとき、杉田俊介さんの『非モテの品格』(集英社新書)という本を読んですごく理解できたのは、「非モテ」というメンタルのあり方自体が軽微な性依存であるということなんです。「男らしさ」を実現するために、性的に満足していることが評価だと思い込んでいる。だから「非モテ」であることにすごくコンプレックスを感じているということが私にとっては衝撃でした。「男らしさ」の根っこがそこにあるなら、男は本当に辛いだろうな、と。女性にとってモテは価値観の一つに過ぎず、人生の中でのモテの重要性は、男性ほど優先順位が高くないひとも多い。仕事をしたり、何かほかのことで「男らしさ」を実現すればいいんじゃないですか?

【常見】「学歴差別はありません」と採用活動でアピールする会社の存在が、社会に学歴差別があるということを証明しているのと同じですね。「非モテ」という言葉があること自体、「モテ」に対する信仰があることを物語っています。そこで「男はモテなければいけない」「男は稼がなければいけない」という“昭和モデル”から、いかに降りられるかが問題になると思います。

【河崎】働き方の問題にしたり、生き方の問題にしたり、物質主義に走ったりしても、結局は「男らしさ」への拘泥に原因がある。もちろん私たちの中にも確実に「女らしさ」への拘泥がある。“昭和モデル”が規定している男性像、女性像を私たちは一生懸命否定しているところです。“昭和モデル”を脱ぎ捨てようとしているのだけど、否定している……ということは、軸は向こう側にあるんです。

【常見】僕たちはまだまだ、“昭和モデル”の手のひらの上で踊っている感じがします。