ワーク・ライフ・ブレンドという考え方

配属から10年間は主に、製品が完成する前の性能評価やファームウエアの開発を担当した。

95年にOEM部門に異動。最初はプリンターの仕様や生産、価格などをコーディネートする仕事に就き、2000年から12年まではヒューレット・パッカード向けトナーカットリッジのOEMのコーディネーターを務めた。その間に2人の子どもを出産。96年に最初の子が生まれた後、課長代理になり、次の子が生まれる直前に課長に。出産・育児と昇進が重なる。どれほど大変だったかと思うが、OEM部門にいたのが幸いした。

「アメリカのお客さまだったので、時差をうまく使って、昼間は社内調整をし、子どもを夜10時か11時に寝かしつけた後、30分くらい電話会議をすれば用件が済みました。ワークとライフをうまくブレンドできました」

ノートパソコンとイヤホンは必需品。アメリカ国内の出張も多く、移動中に電話会議をすることも。

OEM部門にいた時代、2つの大きな環境変化に見舞われた。その1つがリーマンショック。世界中の企業が節約に走り、カートリッジの注文が一気に止まった。

「うちの倉庫は在庫であふれるし、売り上げが落ちて上からは怒られるし。いつになったら回復するのか先が見えませんでした」

注文は半年たたないうちに回復。工場に「増産してください」とお願いすると「要らないと言ったから生産を落としたばかりだ」と怒鳴られた。「オーダーが増えてるんですよ。売り上げ増えますよ。いいことですよね」とかわしたものの理解してもらうまでには時間がかかった。

東日本大震災のときは直後から注文が殺到した。一時的に生産が止まった中、国内のあらゆる倉庫にある在庫を確認し、物流網や港湾施設などがダメージを受けている状況で、どうしたら早いタイミングで出荷できるかを探った。

2回の大きな環境変化を通して、「自分たちが世界のビジネスを背負っていると痛感し、その責任感に気が引き締まりました」。