キヤノン初の女性役員は目下、遺伝子研究の事業化に取り組む。国産初の普通紙複写機を開発したメーカーからは遠いイメージだが、同社の技術の組み合わせがそれを可能にするという。新分野を任された均等法1期生は最初、上司を驚かせる存在だった。
ズバズバもの言う新人に面食らう上司
キヤノン初の女性役員となった田中朗子さんは現在、アメリカ住まい。ニューヨーク州ロングアイランドに本社のあるキヤノンバイオメディカルの社長である。
「2015年3月に社長になったとき、社員はいなくて銀行口座もまだない状態でした」
遺伝子研究を事業に育て上げるのが田中さんの役割。キヤノンと遺伝子? と思うかもしれないが、意外と近いのだという。
「遺伝子の量を増やすときに大切なのが温度の上げ下げ。インクジェットプリンターで培った技術です。特定疾病の存在や進行を知る手がかりとなるバイオマーカーを探すときもイメージセンサー技術が活きます」
田中さんがキヤノンに入社したのは男女雇用機会均等法がスタートした1986年。高校時代の3年間をドイツで過ごし、大学は国際基督教大学。この7年間がユニークな性格をつくったらしい。
新人研修を終え、配属先は神奈川県のJR平塚駅からバスで30分ほどの平塚事業所。実家は千葉。
「千葉からしばらく通ってくれ」と会社から言われたが、朝、自宅を5時に出て、8時の始業に間に合うかどうか。
「3時間かけて来て、3時間かけて帰る。これで仕事をしろとおっしゃるんですか」
会社に文句を言った。上司は面食らい「おー、考えておくから」と言って、翌日、時刻表を持って来た。「田中さん、千葉の駅で5時20分の電車に乗れば間に合うよ」。それに対して田中さんは「技術者はなんて真面目なんだ」と感心した。あとで寮に入れたが、周りからはズバズバものを言う新人と思われるようになる。上司のことを「彼からそのように指示を受けました」と口にして、「彼と言うな。彼氏じゃないんだから」と注意されたことも。
今ならさほど気にならないことでも、当時の日本の企業文化からすると相当、異質だったのだろう。
「私のことを採用したのが会社の一番の失敗だったかも。当時を知る役員から『おまえはひどかった』と言われます(笑)」
ワーク・ライフ・ブレンドという考え方
配属から10年間は主に、製品が完成する前の性能評価やファームウエアの開発を担当した。
95年にOEM部門に異動。最初はプリンターの仕様や生産、価格などをコーディネートする仕事に就き、2000年から12年まではヒューレット・パッカード向けトナーカットリッジのOEMのコーディネーターを務めた。その間に2人の子どもを出産。96年に最初の子が生まれた後、課長代理になり、次の子が生まれる直前に課長に。出産・育児と昇進が重なる。どれほど大変だったかと思うが、OEM部門にいたのが幸いした。
「アメリカのお客さまだったので、時差をうまく使って、昼間は社内調整をし、子どもを夜10時か11時に寝かしつけた後、30分くらい電話会議をすれば用件が済みました。ワークとライフをうまくブレンドできました」
OEM部門にいた時代、2つの大きな環境変化に見舞われた。その1つがリーマンショック。世界中の企業が節約に走り、カートリッジの注文が一気に止まった。
「うちの倉庫は在庫であふれるし、売り上げが落ちて上からは怒られるし。いつになったら回復するのか先が見えませんでした」
注文は半年たたないうちに回復。工場に「増産してください」とお願いすると「要らないと言ったから生産を落としたばかりだ」と怒鳴られた。「オーダーが増えてるんですよ。売り上げ増えますよ。いいことですよね」とかわしたものの理解してもらうまでには時間がかかった。
東日本大震災のときは直後から注文が殺到した。一時的に生産が止まった中、国内のあらゆる倉庫にある在庫を確認し、物流網や港湾施設などがダメージを受けている状況で、どうしたら早いタイミングで出荷できるかを探った。
2回の大きな環境変化を通して、「自分たちが世界のビジネスを背負っていると痛感し、その責任感に気が引き締まりました」。
アメリカでの課題はディスカバー・キヤノン
12年、田中さんは家族を連れてアメリカに赴任する。夫が休職してついてきてくれた。
キヤノンUSAの足達洋六会長(当時社長)から「遺伝子の研究をしている会社があるが、何とか事業にできないか」と言われ、やってみたいと思った。渡米して一番感じたのは「自分がキヤノンのビジネスモデルを知らない」こと。
「OEMは相手のビジネスモデルを前提に仕事をしています。“ディスカバー・キヤノン”が私の課題でした」
足達会長は、キヤノンの仕事がよくわかるように複写機関係の事務局の仕事も兼務させた。キヤノン再発見を続けながら新会社の立ち上げ準備を進める。14年末、「ちなみに、この会社の社長は誰ですか」と尋ねると足達会長から「あなただよ」。
「子会社の社長は親会社に説明責任を果たさなければいけませんから、それが一番できるのは確かに自分です。しっかりやらせていただこうと思いました。まずは遺伝子の検査をメインに据え、ゆくゆくは検体検査全般を手がけていきたいと考えています」
遺伝子の世界はまだ黎明(れいめい)期。そこから事業を立ち上げていく醍醐味(だいごみ)を感じている。
■Q&A
■好きなことば
一所懸命(「与えられたところでベストを尽くす」がモットー)
■趣味
テレビドラマ観賞、娘とジャニーズの番組を観賞
■ストレス発散
家事(洗濯などは手軽に達成感が味わえ、小さな幸せを感じられます)
■愛読書
『無人島に生きる十六人』須川邦彦著(新潮文庫)