そうしてつかんだモデルの仕事のうち、レースクイーンの仕事が井原さんに新しい世界を見せてくれた。チーム一丸となって車を整備し、命がけで闘うレーシングドライバーの滑走の成功をアシストする現場は活気と迫力があった。エンジンの爆音にもしびれた。レースクイーンとして華を添えながら、いつしか「自分もレーシングカーで走りたい」という夢が生まれたという。

「体が元気をなくすと心も元気をなくします。だから私はたっぷり9時間睡眠をとるんです。寝る時間がなくなりそうだったら仕事を切り上げるほど、しっかり休むようにしています」。

当時、普通免許すら取得していなかったため、まず免許を取ることからスタート。コツコツ努力しても、デビューがこの世界では遅咲きの25歳になったのは仕方がない。ロールモデルとなる女性ドライバーがいない中で、どんなに小さな疑問もないがしろにせず、がむしゃらに立ち向かった。そうしたなか、女性が少ない世界ならではの苦労もしたそうだ。

「女のくせにと煙たがられたし、見下されもした。一方で、女だから注目されると妬まれることもありました。でも、ひとたびレースに出たら条件は同じ。レース前にどれだけ細かい準備を重ねてきたか、それで勝負が決まる。レースにつきものの命を左右する瞬間的な判断は、十分な準備があって初めてなされます。つまり、現場に来たときにはもう勝負は決まっている。だから私は気持ちを集中して準備することをもっとも大切にしてきました」

現在も、ル・マン24時間耐久レースで日本人最高位入賞を果たすなど現役を続けながら、マツダと組んで後進の女性ドライバー育成に奮闘中だ。女性はもっともっと強くなれる。井原さんの人生がそれを証明している。

【左】レーシングスーツに身を包むと気持ちが引き締まる。【中】「交通安全」のお守りを常に携帯。車の怖さもよく知るプロらしく、ふだんは安全運転。【右】移動中やレース前は集中するために音楽を聴く。周囲の音をシャットアウトするBOSEのイヤホンは必需品。
井原慶子(いはら・けいこ)
1973年愛知県生まれ。法政大学経済学部在学中に、レースクイーンのアルバイトをきっかけにモータースポーツの世界へ。2002年、マカオグランプリで女性で初めて表彰台に上がり、女性レーシングドライバーのトップに立つ。FIA(国際自動車連盟)アジア代表委員。

大槻純一=撮影