幼い頃から生物や生命の仕組みに興味をもち、「研究者」を夢見ていたという中谷まさみさん。中高一貫の私立女子校から、順調に大学院まで進学し同大の研究室へ入ったが、驚いたのは「月2万4000円」というあまりに安い給料だった――。
研究者としてこの先も歩みたい
●中谷まさみさん(仮名)33歳
幼い頃から生物や生命の仕組みに興味をひかれた。好奇心旺盛な少女が夢見たのは「研究者」への道だ。中高一貫の私立女子校から、理系の国立大へ進学。生命工学を専攻した中谷さんは、さらに関西の大学院へ。修士課程2年、博士課程3年間で単位を取得後に退学。教授の勧めで、同大の研究室へ入った。
そこで実験を続けながら論文をまとめて「博士号」を取ろう――ようやく目の前に道が開ける気がしたが、驚いたのはあまりに安い給料だった。
「月2万4000円ではとても暮らせず、親からの仕送りでなんとか続けました。ところが1年目が終わる頃、指導教官から研究費を取れないので2万円も出せなくなったと言われ、『君は女性だから、どこにも在籍せずに、フリーで論文を書いて(博士号を)取ればいいじゃない』と。それは困るなと思い、実家へ帰りました」
恩師に頼んで別の大学の研究室に机を置かせてもらい、またも月給2万4000円で働くことに。2年がかりで論文を書き上げ、念願の博士号を取得。晴れて「工学博士」になったものの、生活は変わらなかった。
「博士号はよく『足の裏の米粒』といわれるように、取ったからといって食べられるわけじゃなく、毒にも薬にもならないんです。普通は大学院を修了して学位を取ると、すぐ企業へ就職したり、大学の博士研究員(ポスドク)になる人が多いけれど、私はそのまま研究室に残ることになり……」と、中谷さんは苦笑する。