この現在44歳、1971年生まれというのが、例えば30代前半くらいの就職最氷河期世代の読者から見たときに戸惑う「バブルの残滓」感をまさに体現している存在なのだ。71年生まれくらいがちょうどバブルの恩恵をギリギリ経験した層と、そうでない貧乏クジ世代の分水嶺となっており、1973年生まれの私がほんの2~3歳年上の人と話すと、男も女も「ウチらバブルの尻尾で就職したからねー」と、焼け野原しか知らない世代からは信じられないようなことを口にする。

コラムニスト・河崎環さん

だから、そんな拓哉らしい「東京でイケイケドンドンな俺人生」への憧れや焦燥には、ものすごく見覚えや聞き覚えがある。過去の価値観にギリギリ間に合ってしまった男子が、過去の価値観体系で組まれた「男の一生」に取り組んでしまい、他人の成功や肩書きや持ち物(女含む)への男子らしい嫉妬でグルグルしつつ、仕事での成功こそ男の成功であるとアドレナリンを放出する。単純な成功と単純な失敗だけで感情は分かりやすくアップダウンし、「俺はよく目配りしてる」とデキる男感を主張する割には見たいものしか見ていないので、要は周りが見えておらず、だから「東京人生ゲーム」連載スピンオフで、付き合った女たちや同僚からツッコまれるのである。また、73~74年生まれでも短大卒の女性だと、バブルの香りを残した71年“総合職”組と“一般職”として同期入社なので(さらに、文化伝播に地理的タイムラグが生じるという意味でのトリクルダウンで、地方の女子短大だとバブル経験者の年齢はもっと下がる)、同学年なのに発言にバブルを感じ「キミもか……!」と新鮮な感動を覚える。73~74年生まれは、慶應大学卒の女子でも財閥系金融や商社への総合職は困難で、どうしても日系金融や財閥系にこだわった者の中には一般職として商社へ入った者や、都市銀行をあきらめて地銀へ行った者もいた。CA採用も派遣しか門戸が開かれておらず、「帰国子女で慶應出て超絶可愛いあの子が、航空会社に派遣で就職……!」と、衝撃が広がったのも覚えている。当時の学生の選択肢としては、だからこその外資金融やコンサルやIT(当時は海のものとも山のものともつかないという世間の評価)だったのであり、“財閥系に就職”というのはすなわち、「狭き門をすり抜けてうまくいった人たち」という意味だった。

そんな拓哉は44になって、スタートアップCOOのポストを追われ、それまでのビッチたちとの付き合いをやめて堅実な(でもやっぱり美人という設定)ワセジョと結婚し、日本の地方の手仕事の魅力に目覚め、作家もののサードウェーブなクラフト雑貨店をニコタマで開いて、井川遥感を醸し出す人妻たちを目で追いながら、「いやいや、妻と生まれくる子どものためにここで頑張ろう」とかいうポエムを胸に描いているのだ。なんだろう、泣けてくる。