昨年末、Webで大きな評判になっていた、Web版東京カレンダーの連載小説「東京人生ゲーム」。金と仕事と女に奮闘しながら人生ゲームを上り詰める主人公“拓哉”の25歳から44歳までの人生を追った記事を読み、河崎さんの心に浮かんだ感想とは……。

イケてる北欧雑貨店のカード売り場をふらふらしていたら、その中の1枚が“Don’t grow up, it’s a trap.”(大人になんかなるな、これはワナだ)と訴えていた。思わず買って額装しようかと思ったくらい、バースデーカードとしては最高に皮肉が効いている。そうだ、大人になるってことが、何かのワナにわざわざ踏み入っていくことになる人々が、確かにいる。

昨年の年の瀬、ソーシャル界隈を席巻した“東京カレンダー”というサイトの連載小説、『東京人生ゲーム』全10回を遅ればせながらまとめ読みした。「就職を機に千葉から出て東京でひとり暮らしを始めた拓哉の、金と仕事と女に奮闘しながら年齢を重ね上り詰めていく、人生ゲームのようなお話」とあるとおり、千葉県浦安市育ち、慶應義塾大学経済学部卒、総合商社に就職した“拓哉”の、25歳から44歳までの男の人生を、東京のあちこちのアドレスや飲食店の名前を散りばめて描いている。

東京人生ゲーム――女なんて、どうせ金を持っている男が好きなんだろう。そう、思っていた。

おじさんや金持ちの「成功者」たちへの激しい劣等感、女子大生の頃から彼らとの夜遊びを重ねた経験豊富なビッチたちに憎悪と背中合わせの憧れを抱き、組織での出世を目指し昼の仕事も夜の合コンもそれぞれのアドレナリンを放出して東京を彷徨う拓哉。

彼が選択するアドレスが、渋谷~西麻布~蒲田~芝浦~広尾~学芸大学~二子玉川と古いトレンディドラマ設定をまだ匂わせながら変遷していく様子や、慶應経済らしく総合商社から友人が代表を務めるITスタートアップへ転職、しかしIPOを前に“COO”ポストを追われ自らサードウェーブ系事業を起業、しかしいつの時点でも自分に言い聞かせるような強気の姿勢を崩さない自分語りに、「あ~、1971年生まれ44歳の慶應経済。こういう男子、本当にいるわ~」と読後の満足感もひとしおであった。

この現在44歳、1971年生まれというのが、例えば30代前半くらいの就職最氷河期世代の読者から見たときに戸惑う「バブルの残滓」感をまさに体現している存在なのだ。71年生まれくらいがちょうどバブルの恩恵をギリギリ経験した層と、そうでない貧乏クジ世代の分水嶺となっており、1973年生まれの私がほんの2~3歳年上の人と話すと、男も女も「ウチらバブルの尻尾で就職したからねー」と、焼け野原しか知らない世代からは信じられないようなことを口にする。

コラムニスト・河崎環さん

だから、そんな拓哉らしい「東京でイケイケドンドンな俺人生」への憧れや焦燥には、ものすごく見覚えや聞き覚えがある。過去の価値観にギリギリ間に合ってしまった男子が、過去の価値観体系で組まれた「男の一生」に取り組んでしまい、他人の成功や肩書きや持ち物(女含む)への男子らしい嫉妬でグルグルしつつ、仕事での成功こそ男の成功であるとアドレナリンを放出する。単純な成功と単純な失敗だけで感情は分かりやすくアップダウンし、「俺はよく目配りしてる」とデキる男感を主張する割には見たいものしか見ていないので、要は周りが見えておらず、だから「東京人生ゲーム」連載スピンオフで、付き合った女たちや同僚からツッコまれるのである。また、73~74年生まれでも短大卒の女性だと、バブルの香りを残した71年“総合職”組と“一般職”として同期入社なので(さらに、文化伝播に地理的タイムラグが生じるという意味でのトリクルダウンで、地方の女子短大だとバブル経験者の年齢はもっと下がる)、同学年なのに発言にバブルを感じ「キミもか……!」と新鮮な感動を覚える。73~74年生まれは、慶應大学卒の女子でも財閥系金融や商社への総合職は困難で、どうしても日系金融や財閥系にこだわった者の中には一般職として商社へ入った者や、都市銀行をあきらめて地銀へ行った者もいた。CA採用も派遣しか門戸が開かれておらず、「帰国子女で慶應出て超絶可愛いあの子が、航空会社に派遣で就職……!」と、衝撃が広がったのも覚えている。当時の学生の選択肢としては、だからこその外資金融やコンサルやIT(当時は海のものとも山のものともつかないという世間の評価)だったのであり、“財閥系に就職”というのはすなわち、「狭き門をすり抜けてうまくいった人たち」という意味だった。

そんな拓哉は44になって、スタートアップCOOのポストを追われ、それまでのビッチたちとの付き合いをやめて堅実な(でもやっぱり美人という設定)ワセジョと結婚し、日本の地方の手仕事の魅力に目覚め、作家もののサードウェーブなクラフト雑貨店をニコタマで開いて、井川遥感を醸し出す人妻たちを目で追いながら、「いやいや、妻と生まれくる子どものためにここで頑張ろう」とかいうポエムを胸に描いているのだ。なんだろう、泣けてくる。

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峰なゆか「女くどき飯 第8回」に登場する、広告代理店勤務のヒデ君(34)

男の子は、大変だな。

『東京人生ゲーム』拓哉を読んでそう思う。

『女くどき飯 第8回』の広告代理店勤務ヒデ君のコンプレックスと努力を読んでそう思う。

糟糠の妻に興味を失い、トロフィーワイフを持ちたがるミュージシャンを見てそう思う。

アイツよりずっとカッコいいオモチャを手に入れたい、と、クルマやガジェットやハイブランドスーツやブランドアドレスに執心する男たちを見て、そう思う。

「『アイツより俺の方が』というオジさん同士の嫉妬の感情は、結局男の子時代から何も変わらないんですよ、事業部長同士で会話もしない会社なんていっぱいありますよ」と当のオジさんが語るのを聞いて、頭では理解していても、本人たちだってどうにもならない男の性(さが)に感じ入った。社会的評価が自己評価に直結している彼ら男性にとって、名刺交換とは所属企業や肩書きを用いた「瞬間のデュエル(対戦)」なのだそうだ。ああ、だから小学生男子ってあんなにカードゲームでのデュエルに執心して、何百枚もコレクションするんだなぁ……。

また、心理カウンセラーの五百田達成さんは「『男に嫌われる男、女に嫌われる女』の外見」という記事でこう語る。「例えば、鞄や靴、時計……。自分がこだわっているアイテムに着目して、その格やスペック、新しさで瞬時に序列を決める傾向があります。自分の持ってるほうが高額だ、ハイスペックだ、新商品だ……」「おそらく本能的な心理だと思われますが、多くの男性は特に同性に『ナメられたら終わり』と考えているのです。若い世代の人でも、ビジネスパーソンともなると、たとえ年齢は下でも、社内や取引先において、人から見下されることだけは回避したい(中略)新しいiPhone発売日の前から店頭に並ぶ人の多くが男性というのも、このことと無縁ではありません」。あ~、男子って小さい時からおもちゃは最新のを欲しがるもんねぇ。特にライダーものなんて、シーズンごとに……。

そんな分かりやすい男子軸に、今の20~30代はひねりが加わって、今度は「ガジェットは好きですけど、でも上の世代みたいに成功にはしがみつきませんし、男だからどうこうとか思えないですし」なんて感じになっているようだ。それでも、いざ結婚や人生の決断の場面となると、刷り込まれた役割観と自分との間で逡巡してしまうらしく、社会学者・水無田気流さんと男性学研究者・田中俊之さんは対談「『男がリードすべき』が男女平等の最後の砦、個々人の性別役割への思い込みの解体が必要」と結論している。

社会学者・水無田気流さんの『「居場所」のない男、「時間」がない女』と、男性学研究者・田中俊之さんの『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』。2人の対談の結論は、「『男がリードすべき』が男女平等の最後の砦」だった。

ギラギラしているならしているなりに、ギラギラしていなくてもそれなりに、男子もみんな大変なのだ。「大人になんかなるな、これはワナだ」と大人になりたくない男子がいるのも、なんだかすごくよく分かる。

河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。