女性のファッション上の選択肢の多さは、そのまま生き方の選択肢の多さでもあり、いる(いてもいい)社会的な「場」の多さをも反映しているのかもしれない。ロンドンに住んでいた頃、中流階級が多く住むその街の駅前を、輝く高級コンバーティブルが走り抜けていった。道行く人々の視線を釘付けにしたその車の運転席では、はだけた白いシャツの胸元から豊かな胸毛がのぞく裕福なアラブ系男性がハンドルを握り、隣には真っ黒なブルカを頭からかぶって、目だけがのぞく女性が座っていた。その美しく化粧の施された目元からだけでも相当な美人であることはうかがわれ、きっとそのカップルは彼らの文化での勝ち組なのだと察せられたのだけれど、「金持ちの男の助手席に、頭から黒い袋をかぶせられてなお人々に見せびらかされる女性」たる彼女は果たして自由なのか不自由なのか、私には分からなかった。
日本の女性は「なんだかんだ言って深キョンの秘書コスプレ姿とか、壇蜜のくっきりとした黒いハイヒールとか、橋本マナミの豊かな胸元に柔らかに沿う白ブラウスとか、そういうのが喜ばれるワケよ」と愚痴りながらも、今日何を着るか、何色を着るかで悩めるだけ、そして何なら頑張っていつか自分で高級コンバーティブルを駆ることも(もしかしたら)できる分だけ、はるかに自由なのかもしれない。……そんなことを思いながら、今日も私は「着るものがない(というか最近はサイズ的に入るものがない)」と鏡の前で頭を抱えているのである。
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。