さらに後日には、「夫婦問題解決の専門家」という女性にも取材機会があった。まるで狙ったかのようなタイミングである。「つまりね、熟年夫婦のそういった問題の解決法はただ一つ」、ずり落ちる眼鏡を手で押し上げながら、50代の彼女は続ける。「妻が愛の踏み絵を踏めるかどうかってことなのよ、例えば夫の要求に応えて、汗ばんだ加齢夫を舐められるか、寝室にSMグッズを導入できるかどうか」
「……。」
困って押し黙るライター(私)と編集者をよそに、昼下がりの瀟洒(しょうしゃ)な一流ホテルティールームに、彼女の「グッズはいいわよ~」という声が響き渡った。そんな彼女もバツ1で、「若いお医者さんが好きだから、イケメン医者ばっかり集めたサイトも運営しているのよ」と、ハツラツとした笑顔で去っていった。
それぞれ別の案件ではあったけれど、2人の50代女性の歯に衣着せぬ「そういう話」に、「あぁ、女は何か捨ててるくらいが一番カッコいいし面白い」という感想を持った。人の結婚をかなりの成婚率で支援しながら、自分は結婚という安定を捨てて若い男を“狩る”女。自分は若いイケメン医者をコレクションしながら、貞淑の「貞」を守るために「淑」を捨てて攻めろ、と説く女。でも、女であることを最後まで味わいつくすという点では、2人とも共通しているのかもしれなかった。
「品がない」という反応は想像に難くない。でも、彼女たちはそういう、既にあるごく一般的な型に自分をあてはめようとする気持ちを捨て、どこか突き抜けた極端さを自分に許すことによって、それぞれのニッチなニーズを開拓し、ビジネスに成功している。そしてもう一つ彼女たち2人に共通しているのは、バブル時代をトップスピードで駆け抜け、世間に与えられた分かりやすい価値観の中で、分かりやすい幸せの形を1度は(あるいは3度)やってみたということだ。
やってはみた。でもうまくいかなかった。それなら方向転換だ。次だ、次に行こう。
女の人生は長い。女は荷物も多い。長い道のりを行くには、あれもこれも手に入れて携帯するのは負担も大きいし、みんな同じであるわけもない。女の人生にはカスタマイズと捨てる技術が必要だが、よくある片付け本が諭すように、まずは「(己の)キャパ」を知ることが先決。でもそれが人生途中じゃ皆目見当がつかないから、みんな苦労したり自分探ししたり恥をかいたりするわけで。「何を捨てるか」というのは意外と結果論に過ぎず、「ホントのところ、嫌じゃない程度に何を持っていくか」を自分に聞いてみるといいのではないかと思う。