預金が高度経済成長を支えた!
そこで当時の政府の役人たちは考えました。確かに政府にはお金がないけれど、戦争を生き抜いた日本国民7200万人の生活者は各々お金を持っているはずだ。国民の持っているお金を活用して、近代産業振興に振り向ける方法はないものか。
そこで閃いたのが「預金」だったのです。政府は国民に徹底してこう発信しました。「皆さん、頑張って預金をしましょう! みんなで預金をすれば幸せな世の中になりますよ!」。洗脳とも言える霞が関からのこのメッセージにより、当時の国民はせっせと預金に励んだわけです。そして国民の預金は、銀行に集まりました。7200万人がこぞって預金をすれば、一人ひとりのお金はたいしたことはなくとも、けっこう大きな金額になったのです。
さて集まった預金は、銀行を通じて融資というかたちで、新しい産業育成に大胆に投入されました。まずは「鉄は国家なり!」と欧米に負けない鉄鋼業を勃興させるべく、当時の日本興業銀行(現みずほ銀行)は、川崎製鉄千葉製鉄所の最新高炉建設資金を、蛮勇を振るい一括融資し、見事アジアで初の近代的銑鋼一貫製鉄所の実現を果たしました。
失敗すれば興銀は倒産という巨大スケールの、まさに命懸けの資金融通だったのです。その資金のおかげで、日本は世界有数の鉄鋼産業国家への礎を築きました。こうした銀行融資を通じた産業振興はその後枚挙にいとまがなく、自動車・重電・製紙・造船・エレクトロニクスなどなど、今私たちが知る日本を代表するモノづくりの重厚長大産業はことごとく、当時の銀行の勇猛果敢な決断によって、生活者から集められた預金が融資に活用されて育成され発展してきたのです。
つまり奇跡と言われる戦後日本の高度経済成長は、国民から集められた預金の活用なしには決して実現できなかったわけで、この当時は政府の言う通り、預金が幸せな社会を作るために見事に活用されてきました。そして銀行は、近代産業育成へと立派に金融の役割を果たし、カッコいい仕事を成し遂げていたのです。