山小屋の「au使えます」が嬉しい

スタッフはシフト制ですので、いつでも連絡がつくよう心掛けています。だから、出かけた先では電波がきちんとつながっているかを、常に気にするようになりました。

もちろん仕事とプライベートについては、きちんとバランスを保ちたいと思ってはいるんです。この3、4年は山登りに凝っていて、休みの日には関東圏の山に登っています。でも、いまの部署に異動してからは登山中にも電話がかかってくることもあって――。

ただ、山の中でザックから携帯電話を取り出すとき、いつもちょっと嬉しかったりもするんですよね。こうやって山の中でも電話が通じるのは、自分の仕事の一つの成果なんだよな、って。頂上について山小屋に「au使えます」と張り紙がしてあったりすると、やっぱり嬉しい。

そんなふうにとりわけ感じてしまうのは、もともと自分が無線のグループに所属していたことも1つの理由かもしれません。

大学で情報工学系の研究室にいた私は、1993年にKDDIの前身である第二電電に入社しました。同期の多くは固定電話の部門配属となったのですが、私はモバイル部門の無線グループに配属されたんです。

通信事業の自由化が始まり、いくつもの会社が事業に参入した頃のことでした。各社が基地局を全国に広げていこうとしていた時期で、あらゆることが初めての経験だったけれど、結果的に合併してKDDIになった後も含めて通算13年、無線の仕事をすることになりました。

当時の仕事は今と少し似ていて、基地局設備の仕様検討、開発や導入、保守点検サポートが主な業務でした。実際に通信量の減る夜間に車も入れないような山奥に行き、エリアの切り替え作業をしたり。夜中に脚立に乗って号令に合わせて基地局内の設備交換を一斉にし、調整をしていくんです。

電波は目には見えないですが、こうした仕事の一つひとつが通信インフラを守っていることを知り、その仕事に携わることは何か社会の舞台裏を見るようで、本当に楽しかったです。現場ではいつも唯一の女性でしたから、ずいぶんと上司や先輩方には気を遣っていただきましたが、とりあえずどんな作業でも「やります」と手を上げていました。とはいえ、間違えれば、厳しい先輩に怒鳴られるのも当たり前で、「女だから」と甘やかすような雰囲気が全くないのもよかったですね。

KDDI モバイルオペレーションセンター
重田麻里
(しげた・まり)
日本大学卒業、1993年第二電電株式会社入社。移動体技術部無線グループに配属、auエリア・基地局の開発・建設に関わる業務を15年間経験後、au端末企画部門へ異動し、未経験領域の業務を担当。その後役員補佐を1年間経て、現職に就く。

稲泉 連=構成 向井 渉=撮影