スケジュールが全てキャンセルに

KDDI モバイルオペレーションセンター 重田麻里さん

私が所属しているモバイルオペレーションセンターという部署では、主にauインフラの保守・運用をしています。具体的には、全国津々浦々に設置されているauの基地局、交換設備、SMSの配信設備や留守録の装置を扱っており、それらを24時間365日監視して、お客様の電話が継続して使用できるようにするための仕事です。監視ルームでは常に基地局の状況や通信量をモニターしていて、何かあればアラームがなり、停電を伴うような自然災害の発生時には、一時復旧のためのアンテナ車の手配も行ったりします。アンテナ車とはコミケなどのイベントの容量対策にも使っている車載型基地局です。

その中で私がグループリーダーを務めている品質調査グループは、カスタマーコールセンターからの「着信が出来ない」「ネットがつながらない」といったお客様の苦情に対して、その原因が設備にあるかどうかを調査し解決する業務を担っています。20名のうち女性は私を含めて3名なので、男性が多い職場ではありますね。

私がここに着任したのは昨年の4月のことでした。実際にこの部門に身を置いて思うのは、思ったよりもずっと緊張感の高い仕事だということです。仕事の性質上、何かの問題が起きたら、事前に入っていた全てのスケジュールをキャンセルして、目の前の問題解決に集中しなければなりません。トラブルはいつ起こるか全く分からないうえ、その際は短い時間の中で情報を集めて、設備担当者や上司に何が起きているかを効率よく伝えることが求められます。

お客様からの複数の異なるご申告が、実は1つの設備に原因があることもあります。一見すると別々の現象に見えるご申告を、関連性のあるものとしてつなげていく幅広い知識と思考が必要なんですね。それは天候の問題かもしれないし、設備の故障が原因かもしれないし、工事の影響かもしれないし、そのすべてかもしれない。異動から1年が経って、こうした状況に瞬時に判断し対応する日常に、ようやく慣れてきたと感じているところです。

山小屋の「au使えます」が嬉しい

スタッフはシフト制ですので、いつでも連絡がつくよう心掛けています。だから、出かけた先では電波がきちんとつながっているかを、常に気にするようになりました。

もちろん仕事とプライベートについては、きちんとバランスを保ちたいと思ってはいるんです。この3、4年は山登りに凝っていて、休みの日には関東圏の山に登っています。でも、いまの部署に異動してからは登山中にも電話がかかってくることもあって――。

ただ、山の中でザックから携帯電話を取り出すとき、いつもちょっと嬉しかったりもするんですよね。こうやって山の中でも電話が通じるのは、自分の仕事の一つの成果なんだよな、って。頂上について山小屋に「au使えます」と張り紙がしてあったりすると、やっぱり嬉しい。

そんなふうにとりわけ感じてしまうのは、もともと自分が無線のグループに所属していたことも1つの理由かもしれません。

大学で情報工学系の研究室にいた私は、1993年にKDDIの前身である第二電電に入社しました。同期の多くは固定電話の部門配属となったのですが、私はモバイル部門の無線グループに配属されたんです。

通信事業の自由化が始まり、いくつもの会社が事業に参入した頃のことでした。各社が基地局を全国に広げていこうとしていた時期で、あらゆることが初めての経験だったけれど、結果的に合併してKDDIになった後も含めて通算13年、無線の仕事をすることになりました。

当時の仕事は今と少し似ていて、基地局設備の仕様検討、開発や導入、保守点検サポートが主な業務でした。実際に通信量の減る夜間に車も入れないような山奥に行き、エリアの切り替え作業をしたり。夜中に脚立に乗って号令に合わせて基地局内の設備交換を一斉にし、調整をしていくんです。

電波は目には見えないですが、こうした仕事の一つひとつが通信インフラを守っていることを知り、その仕事に携わることは何か社会の舞台裏を見るようで、本当に楽しかったです。現場ではいつも唯一の女性でしたから、ずいぶんと上司や先輩方には気を遣っていただきましたが、とりあえずどんな作業でも「やります」と手を上げていました。とはいえ、間違えれば、厳しい先輩に怒鳴られるのも当たり前で、「女だから」と甘やかすような雰囲気が全くないのもよかったですね。

KDDI モバイルオペレーションセンター
重田麻里
(しげた・まり)
日本大学卒業、1993年第二電電株式会社入社。移動体技術部無線グループに配属、auエリア・基地局の開発・建設に関わる業務を15年間経験後、au端末企画部門へ異動し、未経験領域の業務を担当。その後役員補佐を1年間経て、現職に就く。