老いを愉しみ、悔いなく生き切る知恵
「花咲か婆さん」になるのが夢、と言った宇野千代。「ざるの中に幸福の種になるものをいっぱい詰めて、枯れ木に上って(中略)、その幸福の入っている種をパーッパーッパーッとまいてね、人を幸福にして自分も幸福になる。これが私の人生観なんです」とも語っていました。
逃れようのない老いや死を自然に受け入れ、「少しボケてきたかな、と思うこともたまにあるが、私くらいの歳になると、その少しボケたというところがとても気持ちがいい」と言い、「ボケることが少しも恐ろしくなくなるとは、われながら気楽なものではないだろうか」と「老いもまた愉し」いう境地に至ります。
作家としては生涯現役を貫き、「年齢を忘れるほど忙しい」「何だか私、死なないような気がする」とユーモアたっぷりに語り、「自分のしたいと思うことを一心にするのが、最終的に自分を勝たせる方法」と言い切った人生。
死を恐れず、最後までバイタリティにあふれ、「幸福な花咲か婆さん」としての生涯を全うしたのです。
憎まず、悔やまず、すべてを肯定する人生
多くの著作や生き方を通じ、私たちに示してくれたことは、年齢に関係なく、「今、この瞬間を真剣に生きる大切さ」です。
過ぎたことにとらわれたり、どうなるかわからない先行きのことを煩ったりしてもしかたがありません。「人生はいつだって、今が最高のとき」とくり返し、後半生にこそ人生の醍醐味があることを教えてくれます。
「ご気分はいかがですか?」と尋ねられると、必ず「最高ですよ!」と笑顔で答えたという千代。
どんなときも、日々の暮らしの中から幸せのかけらを見つけ出し、体中に張り巡らせて生きる達人でした。20代には20代の、30代には30代の、40代には40代の、そして98歳には98歳の美しさ、自分の輝かせ方があり、生きてきたすべてのときが花のときと語ります。
年老いて目が見えにくくなっても、「風呂上がりに鏡に映った自分の裸が絵画のヴィーナスのように見えた」といって、老いさえも幸せの一つに数える。入院中も、「明日はどんな寝巻を着ようかしら」と思いめぐらせ、ワクワク心をはずませる。憎まず、悔やまず、すべてを肯定して生きた人生でした。


