「夫婦は一緒に食事をすべき」なのか

そもそも、結婚しても、夫婦2人で暮らしているうちは、独身時代とたいして変わらない。専業主婦になる女性は減っているし、どちらかの親と同居する家庭も今や少数派だ。

共働きの2人が、夜に同じ家へ帰ってきて、同じベッドで眠る。ただそれだけ。形だけ見れば、同棲しているカップルと何も変わらない。違うのは、「夫婦」という公の肩書きがついたことくらいだ。

僕の場合、平日に妻と一緒に食事をすることもない。妻は、夫に料理を作って一緒に食卓を囲む夫婦像を思い描いていたようだが、僕のわがままで、一緒に食事をするのは月に数回だ。仕事がある中、夕食の時間に帰宅を強制されるのがいやだったし、ドラマで描かれる夫婦喧嘩のほとんどが「食事を作って待っていたのに夫が帰ってこない」というものだったからだ。

喧嘩の火種は先に取り除く。それが僕の作戦である。

ここで言いたいのは、「夫婦は一緒に食事をすべきだ」という、当たり前に思える前提でさえ、実は自分たちで選べる変数だ、ということだ。世間の夫婦像に合わせる必要はない。

結婚に「一生の覚悟」を求める世間の常識

もちろん、子どもができてからは、毎晩遅くまで働いて夜中に帰る生活は難しくなった。だがそれは結婚したからではなく、「子どもを授かる」という別のステージに移ったからだ。

それなのに、独身者の多くが結婚そのものに高いハードルを感じるのは、結婚を「一生もの」と捉えているからだろう。

一生添い遂げる相手だと思うからこそ、重い責任や、「本当にこの人でいいのか」という迷いが生まれる。いわゆるマリッジブルーだ。僕は、婚姻率が下がっている一因は、結婚式で神父が問いかける「健すこやかなるときも、病めるときも……その命ある限り、愛することを誓いますか」という、あの一言にもあるんじゃないかと思っている。

新郎新婦の手に手を重ね、祝福している手元
写真=iStock.com/frédéric Michel
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かつての日本では、終身雇用が当たり前だった。大学を出る若者は、定年まで「一生」働くつもりで会社を選んだし、その前提があるからこそ、同じ会社の中で社内政治や出世競争が生まれた。

だが、今の20代に終身雇用の感覚はない。合わなければ3年でやめて転職することを、多くの人がためらわない。だから出世にもしがみつかないし、大企業だけでなく、スタートアップへの就職や起業も、当たり前の選択肢になった。

そう考えると、結婚は人生で唯一、「一生」の覚悟を求められるイベントになってしまっている。これまでも、これから先も、一生をかけた決断を迫られるのはこの時くらいなのだから、そこに大きな恐怖が生まれても、何ら不思議はない。