情報収集も捜査も行う治安機関

事件を理解する上で欠かせないのが、FSBという組織の特殊性だ。

FSBは旧ソ連のKGBの流れをくむ治安機関であり、防諜活動、国家安全保障、国境警備、テロ対策、国家反逆罪やスパイ罪の捜査まで担っている。

日本の警察と決定的に異なるのは、「情報収集」と「捜査」が同じ組織の中で行われることである。

「FSBは警察と情報機関の両方の性格を持っています。したがって、外国人がFSBの関心の対象となった場合、情報収集段階から刑事手続きへ移行するリスクがあります」

取材を受けた人物。接触した情報源。利用した通信手段。移動履歴。こうしたものが、ある日突然「取材記録」から「訴追の材料」に切り替わる可能性がある。

特にウクライナ戦争以降のロシアでは、安全保障への警戒感がかつてないほど高まっている。

その意味で今回の事件は、日本人の常識とロシアの安全保障感覚の違いが表面化した事例とも言える。

拘束する映像まで公開した意味

今回の事件で最も興味深いのは、記者が出国を控えたタイミングで拘束されたことだ。

もし単に危険人物と認識していたのであれば、もっと早い段階で拘束することもできたはずである。

この点について松丸さんは複数の可能性を挙げる。

「出国によって捜査対象者の身柄を確保できなくなることを防ぐため。当局が捜査上必要と判断した資料や端末を確保するため。そして出国直前というタイミングを対外発表に利用するためだと推察できます」

注目すべきは最後の分析だ。ロシア当局は拘束だけではなく、その映像まで公開した。これは単なる捜査であれば必ずしも必要のない行為である。

日本人記者の拘束に向かうロシア連邦保安局員
FSB公開映像より
日本人記者の拘束に向かうロシア連邦保安局員

松丸さんは、一連の行動をプーチン大統領の情報発信戦略として見る必要があると指摘している。

FSBは拘束映像を公表した。そこに映っていたのは、日本人記者が拘束され、パソコンを操作させられる様子だった。もちろん、その映像だけでスパイ活動が立証されるわけではない。しかし重要なのは、ロシア当局が映像公開を選択した事実である。