家臣の遺児たちを大切にした
また、家康は義理人情も大切にした。三方原の合戦で家康の身代わりになって討ち死にした夏目広次(一般には吉信。「どうする家康」では甲本雅裕が演じた)。かれの遺児・夏目吉忠は関ヶ原の合戦の2年後(慶長7、1602年)、父の偉功により伊豆韮山1万石を与えられることとなった。しかし、同年11月に急死して実現しなかった。さらに、その遺児も翌年死去してしまった。秀吉に仕えた竹中半兵衛があれだけ活躍したのに、子の竹中重門は5000石しか与えられなかったのとは大違いだろう。
ただ、家康はシブチンで、そもそも家臣の家禄をなかなか増やさなかった。昭和の日本的経営、年功序列賃金に似ている。給料は大幅に下がることは滅多にないが、昇給も遅いのである。これに対して、秀吉は働いた分だけ昇給も減給も大胆に行う、年俸制に近いものがある。
世襲OKで“お家”はひとまず安泰?
家康が年功序列賃金(的な人事制度)を実施したおかげで、朝鮮に出兵する必要もなかった。加藤貞泰クンがのちに6万石に加増されてから、加藤家は減俸されることなく明治維新を迎えた。
家禄が増えたり減ったりしない。家臣は世襲ということになれば、中途採用はほぼほぼ実施されない。
藩(会社)が中途採用しないということは、武士(サラリーマン)目線でいうと、転職が難しいということになる。転職が難しいと退職もしづらい。何があっても歯を食いしばって会社にしがみつかねばならない。そうすると、会社の先輩たちはムリな命令を繰り返し、ブラックな職場が醸成される(その代わり、会社は何よりも雇用継続を重要視し、事業の売却よりも配置転換を心掛けた)。
現代日本でそうした江戸時代の封建制度以来の風潮が薄められつつあるのは、欧米流の考え方が浸透してきたのもあるが、人材の流動化が進んできたからだろう。これまで日本で難しかった解雇が一般的になる日も、そう遠くないのかもしれない。
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