田舎の小学校では化粧をからかわれた
白粉を塗って、髪を桃割れに結って葡萄茶色の袴を着て学校に通う千代は、人目を引いた。
子どもたちは「ねきへ寄って見い。宇野先生の臭いことちゅうたら、ないぞよ」と大騒ぎをした。教員も、小使いも仰天したが、誰も化粧をとがめることはなかった。そのうち、村の男たちから手紙を渡されるようになった。なかには、指を切った血で書いたものまであった。運動場で体操を教えていると、若者が柵にすずなりになった。祭りでは不良少年に声をかけられた。千代は人々のあまりの変わりように恐ろしい気持ちがした。
代用教員になった年に、千代は一人暮らしを始めた。
食事は3食とも黒豆を炒って醤油をかけたもの。生活費は、家賃と黒豆と化粧下地と白粉のみ、1カ月2円数十銭で、月給8円からそれらを引いた金額をそっくり実家に渡していた。母は後年まで、千代が月給の3分の2を渡したことを褒めていた。
近隣の村長の息子に惚れられる
あるとき、近隣の小学校で教員講習会が開かれた。
千代はそこで村長の息子に見そめられたらしく、後日校長に縁談が来ていると聞かされた。名家でもあり、祖母にも強く勧められた。しかし、千代は結婚自体に興味がなかった。『生きて行く私』にはその理由を、化粧を取った顔をみられたくなかったからとしている。それもあったかもしれない。だが考えてみれば、横暴な父に苦しめられた千代が結婚に夢を持てるはずがない。しかも千代はすでに一度結婚を経験していた。
それはわずか14歳のときで、相手は(実)母方の従兄弟だった。父が決めたために従うしかなく、義母にあたる伯母もたいそう喜んだが、肝心の夫は毎晩のように千代を置いて出かけるので、千代は実家に戻った。同居は10日ほどのことで、結婚とよべるかどうかもわからない。ただ、このことも結婚に対する忌避に一役買っていたのは間違いないだろう。
ともあれ、千代は縁談を断った。すると、息子本人が一人暮らしの千代の家に現れた。男は何度断っても来た。そしてある日、とうとう日が暮れてランプをつける時間になっても帰らなかった。

