「雪の中を歩いて登校しろ」と命令
信じられないことを言ってくる。小学校は臥龍橋を渡った錦見の東端にあり、家からは1キロほど離れている。雪の降り積もるなかこの距離を歩くのは、草履を履いても辛い。しかし、暴君の命令は絶対、どんな無茶ぶりにも黙って従うしかない。雪を踏みつづける素足は、冷たさを通り越して激痛に苛まれる。それを見た近所の人々が「千代さんかわいそうに」と同情する。俊次の困った気性は近所の人々もよく知っている。
しかし、これでも俊次は娘を愛しているようだった。千代の学業成績は抜群で、通信簿はオール甲(当時は甲・乙・丙・丁の4段評定)。毎年春には旧岩国藩主の吉川家から小学校の成績優秀者に褒美が与えられるのだが、その表彰の常連でもあったという。
明治の世になっても、この城下町では元藩主・吉川家の威光は絶大だった。褒美の品を目にして大喜び、千代の手を引いて臥龍橋を渡る。
「今日はこいつが、学校に呼ばれて殿様から褒められての」
そう言って、自分が贔屓にしている料亭や芸者置屋などを自慢してまわる。歓楽街で小学生をつれまわすのは教育上どうかと思うが、娘を愛するがゆえ抑えきれない衝動だった。
優秀な娘は俊次にとっていちばんの自慢。もっと磨きをかけて立派に育てたいと、教育にも熱が入る。熱心すぎるあまり、つい厳しくなってしまう。普通の人々からすればそれはもう虐待にしか見えない所業も多々あり、だが、彼にとっては娘への愛情表現。“愛の鞭”だった。
暴君だった父への消せぬ思い
厳しすぎる教育が心に傷やトラウマとなり、親を生涯恨みつづける。と、そういった実例は多くある……しかし、
「もう一回子供時代を過ごさねばならないとしたら、また同じ父に育てられたいと思っています」
87歳の時、昭和59年(1984)6月9日に催された宇野千代講演会でこのように語っている。恨みの言葉は聞かれず、父に対する愛着さえ感じる。
この心境に至るまでには、故郷に対する思いと同じで長い時間を要したと思う。千代にとって父と故郷は表裏一体の存在。愛と憎悪がからみあう激しく複雑な存在だ。それに整理をつけて思いを昇華させるには、人生の経験値を積んで得られる知識や内面の成長が必要だろう。
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