見栄を張る必要なくなり「墓も不要」

2013年に陵墓縮小の決定がなされてから、一般国民の間で進んだのは「墓じまい」である。「墓は、要らない」というわけだ。

墓には、「○○家先祖代々之墓」などと刻まれているが、墓を守っていく人間がいなければ、墓は維持できない。昔は、墓守を確保するために養子をとることが行われたりしたが、今そんなことをする家はほとんどない。

墓じまいした場合、遺骨が残る。だがそれは、使用期間が区切られた納骨堂におさめられるか、「散骨」で海にまかれたりする。庶民が墓をつくることが、むしろ戦後にできた習慣であることについては、すでに〈そりゃ"帰省離れ"が加速するはずだわ…宗教学者が「帰省も墓参りも単なるブームだった」と断言するワケ〉で書いたことがある。

今、その家に死者が出て、墓がない場合、新たに墓を買い求めようとする人はほとんどいない。将来において、墓じまいしなければならなくなることがわかっているからだ。

派手な葬儀や立派な墓は、世間にむかって、その家の存在を誇示するためのものだった。要は皆、見栄を張ったのである。

究極の終活は「次世代への愛」

今は、サラリーマン家庭が増え、そうした見栄を張る必要もなくなった。バブルの時代に、院号のついた戒名が流行し、サラリーマンでもそれに大枚をはたいたのは、その感覚が残っていたからだ。

バブルがはじけることで、日本は長く経済的に低迷した状況に追い込まれたが、見栄を張る必要がなくなったことは、かえって良かったかもしれない。今は、株価や地価が高騰し、バブルが再来しているとも言われるが、さすがに葬儀や墓に金をかけようとする人はいない。

どうせ金をかけるなら、若い世代の教育に投資したほうがいい。そんな時代が訪れている。上皇が、皇室の未来を見据えて終活に取り組んでいるように、私たち庶民も、自分の家族の未来を見据えて、葬儀や墓のことを考えるべきである。

未来を考えることは、次の世代への愛情の贈り物に他ならない。葬式を小さくすることも、立派な相続の一環である。

「愛のある終活」が、今のトレンドなのである。

天皇、皇后両陛下(当時)と皇族方(2013年11月)
天皇、皇后両陛下(当時)と皇族方(2013年11月)(写真=外務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons
島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家

放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。