悠仁親王初の公の場での「お言葉」
秋篠宮家の悠仁親王が、9月6日に二十歳を迎える。
果たして、次世代の天皇となりうる成長ぶりを示すために、これからどのような道を歩むのか。楽な道のりでは決してないこと、それを、今回は考えていきたい。
8月7日から8日にかけて、悠仁親王は広島県の神石高原町を訪れ、そこで開かれていた「第19回日本スカウトジャンボリー」に参加した。
スカウトジャンボリーは4年に一度開かれる。私も子どもの頃、まだカブスカウトだったが、静岡県御殿場市での「第3回日本ジャンボリー(アジアジャンボリー)」に参加したことがある。1962年のことで、そのときは皇太子であった今の上皇が、夫妻で参加していた。
悠仁親王は若いだけに、同年代のスカウトとともにテントの設営や食事作りにも参加し、そのテントで一夜を明かしている。同じテントに宿泊したスカウトたちとは、友達同士のように仲良く交流したようだ。
7日夜には、6000人のスカウトたちの前で挨拶を行った。悠仁親王が公の場で「お言葉」を発するのは、今回が初めてのことである。
幼さが目立った親王の“原稿読み”
挨拶の冒頭では、令和8年熊本地震の犠牲者に哀悼の意を表し、被災者にお見舞いの言葉を述べた。さらに、スカウトたちとの交流の様子や、大会の意義について語っていった。
悠仁親王は、用意した原稿を丁寧に読み進め、ときおり顔を上げて聴衆のほうを見ているようだったが、原稿を目で追っている時間がより長く、聴衆の顔をしっかりととらえていたかどうかは定かではない。
今回は初めての経験であり、かなり緊張していたようで、挨拶は幼さが目立つものとなった。
その点は、愛子内親王と比較すると、より鮮明になってくる。
愛子内親王のほうは、8月17日に都内で開かれた「第37回半導体物理国際会議」の開会式に臨み、そこで挨拶を行っているが、実に堂々としたものであった。
何より悠仁親王との違いが出たのが、聴衆の顔をしっかりととらえ、話をしていたところである。それは重要な国際学術会議であり、当然、原稿も用意していたが、内容はほとんど頭に入っていたようで、原稿に目を落とすよりも聴衆を見ている時間のほうが長かった。それで、話に説得力が伴ったのは確実である。
どうして、そんな差が生まれたのだろうか。