秋篠宮家の長男、悠仁親王は9月6日に二十歳となる。皇室史に詳しい島田裕巳さんは「8月に悠仁親王は公の場で初の『お言葉』を述べたが、その挨拶は、幼さが目立つものとなった」という――。
2025年9月7日、伊勢神宮参拝のため宇治山田駅に到着した悠仁親王殿下
2025年9月7日、伊勢神宮参拝のため宇治山田駅に到着した悠仁親王殿下(写真=リニー1佐/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

悠仁親王初の公の場での「お言葉」

秋篠宮家の悠仁親王が、9月6日に二十歳を迎える。

果たして、次世代の天皇となりうる成長ぶりを示すために、これからどのような道を歩むのか。楽な道のりでは決してないこと、それを、今回は考えていきたい。

8月7日から8日にかけて、悠仁親王は広島県の神石高原町を訪れ、そこで開かれていた「第19回日本スカウトジャンボリー」に参加した。

スカウトジャンボリーは4年に一度開かれる。私も子どもの頃、まだカブスカウトだったが、静岡県御殿場市での「第3回日本ジャンボリー(アジアジャンボリー)」に参加したことがある。1962年のことで、そのときは皇太子であった今の上皇が、夫妻で参加していた。

悠仁親王は若いだけに、同年代のスカウトとともにテントの設営や食事作りにも参加し、そのテントで一夜を明かしている。同じテントに宿泊したスカウトたちとは、友達同士のように仲良く交流したようだ。

7日夜には、6000人のスカウトたちの前で挨拶を行った。悠仁親王が公の場で「お言葉」を発するのは、今回が初めてのことである。

幼さが目立った親王の“原稿読み”

挨拶の冒頭では、令和8年熊本地震の犠牲者に哀悼の意を表し、被災者にお見舞いの言葉を述べた。さらに、スカウトたちとの交流の様子や、大会の意義について語っていった。

悠仁親王は、用意した原稿を丁寧に読み進め、ときおり顔を上げて聴衆のほうを見ているようだったが、原稿を目で追っている時間がより長く、聴衆の顔をしっかりととらえていたかどうかは定かではない。

今回は初めての経験であり、かなり緊張していたようで、挨拶は幼さが目立つものとなった。

その点は、愛子内親王と比較すると、より鮮明になってくる。

愛子内親王のほうは、8月17日に都内で開かれた「第37回半導体物理国際会議」の開会式に臨み、そこで挨拶を行っているが、実に堂々としたものであった。

何より悠仁親王との違いが出たのが、聴衆の顔をしっかりととらえ、話をしていたところである。それは重要な国際学術会議であり、当然、原稿も用意していたが、内容はほとんど頭に入っていたようで、原稿に目を落とすよりも聴衆を見ている時間のほうが長かった。それで、話に説得力が伴ったのは確実である。

どうして、そんな差が生まれたのだろうか。

愛子さまと悠仁さまの「お言葉」の違い

もちろん、この2人の違いは、年齢の差でもある。

悠仁親王は、現役の大学2年生で19歳の夏だった。皇族がこの年齢で「お言葉」を発するのは異例のことである。

それに対して、愛子内親王はすでに社会人で、24歳である。悠仁親王とは5歳違う。しかも、愛子内親王が学術会議で挨拶をする経験は、昨年の5月に開催された「第23回世界災害救急医学会」の開会式でもしている。公務の式典で「お言葉」を述べるのは2度目であり、それが余裕を持った話し方に結びついていることはあるだろう。

しかし、年齢だけが違いを生んでいるわけではない。

悠仁親王はまだ学生ということもあり、学校の授業がある間は公務に就き、国民の前に姿を現すことが難しい。公務に就くとすれば、大学が休みの期間に限られる。宮内庁としては、なるべくそうした機会を逃したくないと考え、今回のジャンボリーへの参加となったのだろう。ジャンボリーの参加者が悠仁親王と同世代というのも、自然な交流に結びつく。

ボーイスカウト最大の祭典「日本スカウトジャンボリー」の集会に出席し、参加者に手を振られる秋篠宮家の長男悠仁さま=2026年8月7日夜、広島県神石高原町[代表撮影]
写真=時事通信フォト
ボーイスカウト最大の祭典「日本スカウトジャンボリー」の集会に出席し、参加者に手を振られる秋篠宮家の長男悠仁さま=2026年8月7日夜、広島県神石高原町[代表撮影]

しかし、悠仁親王と比較して、愛子内親王の「落ち着き」が強く印象づけられたのも確かである。それに、ジャンボリーと学術大会では、聴衆の年齢や経験に大きな開きがある。愛子内親王は、世界から集まった学識経験者の前でも臆することなく、半導体の研究や大会の意義を語ることができたのである。

「自分の言葉で自分の思いを伝えたい」愛子さま

それが年齢の違いだけではないのは、愛子内親王が成年を迎えての記者会見を思い起こしてみればいい。2022年3月17日のことであり、その3カ月ほど前に内親王は二十歳を迎えた。

そのときには、かなり緊張した表情も見られ、言い直しをする場面もあったが、しっかりとそこに集まった記者たちの顔を見て話をしていた。自分の気持ちを、なんとしても相手に伝えたい。そうした意欲にあふれた会見だった。

年齢だけの違いでないとしたら、何が悠仁親王と愛子内親王の差を生んでいるのだろうか。その鍵は、二人の成年を迎えての会見で語られた内容にある。

愛子内親王は、今回の記者会見に「どういう準備をして臨んだのか」という記者からの質問に対して、次のように答えていた。

「事前に頂いた御質問に対して、なるべく具体的に自分の言葉で自分の思いを皆さんに知っていただけるように伝えたいと思って準備してまいりました」

さらに、天皇から受けた緊張を和らげるためのアドバイスについては、「父から聞きましたのは、聞いてくださっている皆さんの顔、お一人お一人の顔を見ながら、目を合わせつつ、自分の伝えようという気持ちを持って話していくというのがコツだというふうに」教えられたと答えていた。

こうした天皇からの教えがあり、愛子内親王はそれを忠実に実行しているわけだ。しかも、会見に臨むときのコツを、具体例は挙げなかったが、ほかにもいろいろと教えられていることをほのめかしていた。私たちも知りたいところである。そこに、落ち着きの秘密を解く鍵がありそうだからだ。

「天皇家と秋篠宮家」教育方針の違い

一方、悠仁親王の場合、成年にあたっての記者会見において、記者から愛子内親王に対して向けられたのと同じことは尋ねられなかった。そのため、記者会見に臨む際のコツを両親からどのように受けたかについては何も語っていない。

ただ、「成年にあたって、ご家族からかけられた言葉やふだん話されている会話についてもご紹介ください」という記者からの問いには、「成年に当たって家族から掛けられた言葉についてですが、特にはなかったように思います」と答えていた。

ここには、はっきりと、天皇家と秋篠宮家の教育方針の違いが示されている。

天皇家では、愛子内親王を一家の中心に据えるため、できる限りの教育を施している。それに対して秋篠宮家では、本人の自由な意思を徹底して優先し、こと細かく皇族としての姿勢や態度については教えていないのだ。

こうした教育方針の違いが、悠仁親王と愛子内親王の挨拶の仕方の違いに結びついている可能性は高い。

天皇の「お言葉」の難しさと重要性

悠仁親王に帝王学が施されていないのではないかという疑問の声が上がるのも、これが関係する。

逆に、愛子内親王が天皇皇后の教えを実際の公務に活かしていることで、その評価が高まり、「愛子天皇」待望論の高まりを生んでいるわけである。

天皇や皇族の発する「お言葉」は、近年になればなるほど、その重要性が増している。とくにそれは、現在の上皇夫妻が、皇太子夫妻であった時代から続けてきた「慰霊の旅」で鮮明になった。

天皇や皇族は、憲法の制約があり、政治に影響を与えるようなことを述べるのが難しい。したがって、慰霊の旅において、日本が戦争中に行った行為について、直接謝罪することができなかった。

だが、日本の側に大きな過ちがあったことも事実で、それを素通りすることはできない。そこで上皇夫妻は、文言を慎重に選び、そうした過去の過ちを暗示するような「お言葉」を発してきた。

それは現在の天皇夫妻にもはっきりと受け継がれており、海外を公式訪問した際に行う挨拶において、官僚が用意した文章を読み上げるのではなく、そうしたものを参考にしつつも、自分たちの言葉で挨拶の文章を練り上げることに心血を注いでいる。

今年6月のオランダ訪問で、天皇が行った晩餐会でのスピーチがその典型で、皇后とともに英語の原稿を幾度となく推敲したと伝えられている。それも、戦争中には日本軍がオランダの人々を強制収容所に送り、悲惨な生活を強いた出来事があったからである。

愛子内親王は、この努力を両親から聞かされたことだろう。

御執務中の天皇陛下(宮殿・表御座所、2019年)
御執務中の天皇陛下(宮殿・表御座所、2019年)(写真=外務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

通過儀礼が求められる悠仁さま

そうした伝統を受け継いでもらえるよう、天皇家では愛子内親王に懇切丁寧な教育を施し、愛子内親王もそれに応えるための精進を怠っていない。いくら社会人とはいえ、23歳や24歳で、国際会議で堂々とした挨拶をするのは容易なことではない。

悠仁親王がその域に達するためには、たんに年齢を重ねるだけではなく、「一皮むける」経験が必要である。試練を乗り越える「通過儀礼(イニシエーション)」が求められるのだ。

大学を卒業することも通過儀礼の一つだが、それで本人が大きく変わることはあまりない。悠仁親王の場合、大学を卒業後、海外留学することを両親も勧めており、本人もそれを希望している。留学先はイギリスになると考えられるが、そこで、本当の意味での一人暮らしを行い、自律した生活を送る経験が必要となってくるであろう。

その上で、大学院の修士課程を修了し、さらには自然科学を専攻している以上、博士号を取得することも視野に入っているはずだ。海外の大学院で博士号を取得することは、十分に通過儀礼の役割を果たすことになる。

ますます広がる愛子さまと悠仁さまの差

ただ、それまでにはかなりの時間がかかる。大学はあと2年半あり、大学院の修士課程を修了するには最低で2年かかる。博士号を取得するとなれば、そこからさらに3年から4年はかかる。それは、今から7年、あるいは8年先のことである。

海外に留学すれば、日本に戻ってくる機会は少なく、公務に携わることも難しい。その期間、悠仁親王が留学先でどのような生活を送っているかは、何らかの形で伝えられるであろう。だが、国民の前に直接姿を現す機会はほとんどないはずだ。

その間、愛子内親王のほうは、精力的に公務をこなし、その重要性は日増しに高まっていく。天皇はすでに高齢者の仲間入りをしているし、雅子皇后もあと2年余りで65歳を迎える。

愛子内親王が天皇家の中心として活躍を続けていけば、悠仁親王との差はますます大きくなる。

果たして、7年後か8年後、悠仁親王は次世代の天皇となりうる成長ぶりを示すことができるように成長しているのだろうか。

愛子内親王の存在が、悠仁親王にとって越えがたい壁になることも十分に考えられる。愛子内親王以上の信頼を国民から得ることが、悠仁親王の通過儀礼で課される最大の「試練」なのである。

天皇皇后陛下並びに愛子内親王殿下(2022年12月23日)
天皇皇后陛下並びに愛子内親王殿下(2022年)(写真=外務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons