ウケるための創作と認めた蘆花

大正8年(1919年)の冬、雑誌『婦女界』に「不如帰の真相」が載った。蘆花は両家の内情を説明したうえで、「姑と継母を悪者にしなければ人の涙をそそれないから誇張したのだ」と明かし、存命の二人が気の毒でならないと結んだ。連載から20年が過ぎていた。だが、捨松個人への謝罪はなかった。記事を涙ながらに読んだ捨松は、次男の嫁に、「信子がこの苦しみを知ったなら身の置き所もなかっただろう」と語ったという(久野明子著、前掲書)。

同年2月18日、捨松はスペイン風邪により満58歳で世を去る。弥太郎もその17日後に死去した。

大山巌・捨松夫妻、19126年以前
大山巌・捨松夫妻、1916年以前(写真=PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

物語は人を救う。『不如帰』は家の制度に押しつぶされる女性の姿を広く知らせ、その一点では先駆的な作品だった。だが物語は人を上書きもする。日本に看護婦教育の道を開いた女性は、その知識ゆえに、50万部の書物の中で意地悪な継母であり続けた。連載開始から127年がたち、「風、薫る」は捨松を、不当な誤解から解き放つ形でもう一度描いているのだ。

田幸 和歌子(たこう・わかこ)
ライター

1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など