細川家は肥後藩主に、首相を生む
幽斎は一旦開城に応じて、八条宮智仁親王に「古今伝授」の書類を渡して再び籠城した。しかし、後陽成天皇は、もし幽斎が討ち死にすると日本の歌道にとって大きな痛手になると考え、再度、幽斎の助命の勅令を発した。かくして、9月13日に幽斎は田辺城を開城、亀山城に退いたが、わずか500の兵で1万5000もの大軍を2カ月にわたって引き留めた功績は高く評価された(ただ、気の短い忠興は、父の煮え切らない態度を嫌悪して、しばらく義絶したという)。
かくして、細川家は御家存続となり、江戸時代は豊前国小倉藩の大大名に(肥後細川家)。約400年後、子孫から第79代総理大臣・細川護煕を生んだのである。
1963年北海道生まれ。國學院大學経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。06年、國學院大學博士(経済学)号を取得。著書に『財閥と閨閥 10大財閥の婚姻戦略』『財閥と学閥 三菱・三井・住友・安田、エリートの系図』『最新版 日本の15大財閥』『織田家臣団の系図』『豊臣家臣団の系図』『徳川家臣団の系図』(角川新書)、『企業集団の形成と解体』(日本経済評論社)、『日本の地方財閥30家』(平凡社新書)、『一目で流れがわかる業界変遷100年史』(KADOKAWA)など。