皇族を「道具」とみなす時代錯誤の意識

中曽根弘文参議院議員の「愛子さまが天皇になったら、結婚する人もいない」という発言もそうだが、皇室典範の改正案についてさまざまな問題が生まれ、反対の声が強まるなかで、推進派からは、失言ともいえるようなこと、あるいは根拠があまりに曖昧なことが次々と出てきている。

天皇もそれに異例の言及をしたわけだが、今の政治家に、皇室の今後の在り方を左右するような法改正を実現する資格が果たしてあるのだろうか。そうした疑いさえ生まれてくる。

これは、摂関政治の時代からそうだが、政治の実権を握った者にとって、天皇や皇族は、あくまで「道具」であり、それを「いかに自分たちの権力の保持に利用するか」しか関心が持たれなかった。

そこから、天皇や皇族が初めて解放されたのは、戦後になって日本国憲法が成立してからのことである。そこでは、天皇は「象徴」と位置づけられ、政治から一歩引いた場所を占めることとなった。

ところが、政治家のほうは、これまでの意識が抜けていない。現代における天皇や皇族の意味、それが果たしてきた役割には根本的に無関心なのだ。

いや、無関心どころではない。麻生太郎氏が、養子に皇位を継承させようとするのは、最も扱いやすい天皇を誕生させようとしてのことである。麻生氏としては、養子を実現させたのは自分たちなのだから、養子に入った人間はおとなしく政治家の言うことを聞けばいいのだということだろう。

未来に禍根かこんを残さないためには、これまでの議論の道筋を反省し、もう一度一からやり直す必要があるのではないだろうか。その際に、「氏より育ち」という考えは、決して無視できないものになってくるであろう。

2025年11月21日、ラオス訪問中の愛子内親王殿下(出典=宮内庁Instagram[@kunaicho_jp]
島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家

放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。