尊敬できる先輩や師は「寡黙」
人の心もまた同じです。内側(内面)が満たされていない人ほどよくしゃべり、満ち足りている人は余計なことを言いません。雄弁さよりも、誠実さと芯のある言葉が人の心を動かします。
私が尊敬する先輩や師は寡黙でしたが、その姿から「本物」を感じました。空手の先生は日常のすべてを鍛錬に結びつけ、整体の師は街を歩く人の背骨のゆがみまで見抜こうと修練を重ねていました。世間話や遊びに明け暮れる人の言葉には力がありませんが、常に道を究めようとする人の言葉には自然と重みが宿ります。
リーダーに必要なのは、言葉巧みに語ることではありません。真理に基づき、誠実に、余分を削ぎ落とした言葉を持つことです。そのためには、内面(=人間性)を磨き続ける姿勢が不可欠です。言葉の力は、人間的な成長と内面の充実から生まれます。
お釈迦さまは『ウダーナヴァルガ(感興のことば)』という経典の中で、次のように説いています。
「博学」とは、知識が豊富というだけでなく、自分の仕事や専門分野を深く理解し、プロフェッショナルとして研鑽し続ける姿勢を指しています。そして「徳行」とは、人として誠実であり、真摯に人と向き合う姿勢のことです。この2つが揃うことで、言葉に「人を動かす力」が生まれます。
「尊敬できる人の厳しい言葉」は受け入れられる
知識や技術に乏しく、人格的にも未熟なリーダーは、どれほど言葉を尽くしても部下から軽んじられてしまいます。自分の保身や金儲けばかりを優先する人間の言葉は、表面的には響いても心には届きません。一方、自分の仕事に精通し、さらに誠実さや人間性を兼ね備えたリーダーの言葉は、必ず信頼を勝ち取ります。
「部下にはほめたほうがいいのか、それとも厳しく接するほうがいいのか」。リーダーが抱える悩みのひとつです。
大切なのは、「ほめる」「叱る」といった手法そのものではなく、それを伝える人と伝えられる人との関係性です。尊敬できる人からの厳しい言葉なら、たとえ耳に痛くても受け入れられます。しかし、信頼していない人からの言葉は、どんなに優しい言葉でも心に響きません。
お釈迦さまは弟子に対して、ときに厳しく接しました。「成すべきことは、泣きながらでもやりなさい」と説いています。現代で同じことを言えばパワハラと非難されるかもしれませんが、当時の弟子たちはその言葉を深く受け入れました。なぜなら、お釈迦さまが「尊敬できる存在」「信頼できる存在」だったからです。厳しさが相手に届くかどうかは、信頼と尊敬にかかっています。