時代変化に伴う天皇と国民の関係性

まず重要なのは、天皇や天皇一家と国民との関係が、時代を追うにつれて大きく変化してきたことである。

戦前において、とくに日本が中国やアメリカとの戦争に深くのめり込んでいった時代には、天皇は「現人神あらひとがみ」として崇め奉られた。

昭和天皇自身がそれをどう考えていたかはわからないが、明治の時代に制定された大日本帝国憲法では、天皇は神聖だとはされていたものの、神とはされていなかった。天皇が現人神であることがことさら強調されたのは、昭和10年代に入ってからである。

昭和20(1945)年に日本が戦争に敗れることで、戦前の体制は崩れ、天皇も「人間宣言」を行った。そして、敗戦による惨禍に苦しむ国民を励ますため、昭和天皇は全国を巡回した。

昭和天皇の全国巡幸(1947年・神戸)
昭和天皇の全国巡幸(1947年・神戸)(写真=毎日新聞社「昭和史第13巻 廃墟と欠乏」より/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

これによって国民は、直に天皇と接することになったのだが、天皇の国民との接し方はぎこちないものだった。それは各種の映像に残されている。

昭和が終わり平成の時代が訪れると、平成時代の天皇は皇后と共に「平成流」という国民との接し方を編み出し、被災地などを訪れた折には、床に膝をつき、国民と同じ目線で会話した。

国民と同じ目線の今上天皇と皇后

ただ、これは〈愛子さまは天皇陛下の合図で入ってきた…島田裕巳「愛子さまを中心に据えるという天皇家の意思が見えた瞬間」〉で触れた、政治学者の御厨貴氏との「時事イ放談」の席で出たことなのだが、平成時代の天皇と皇后、つまり今の上皇夫妻は、やはり「上から目線」だったという。

御厨氏は、今から10年以上前になるが、恩師である三谷太一郎氏と共に皇居に呼ばれ、上皇夫妻と私的に食事をしている。当時、私は御厨氏からそのときの話を聞いたのだが、トイレの場所を上皇から教えられたと語っていた。余人を交えない食事の席だったからで、御厨氏は、上皇と直接面識があるわけである。

ところが、今年1月9日の講書始の懇談の席においては、現在の天皇夫妻の視線は国民とまったく同じもので、上から目線ではなくなっていたという。天皇夫妻は、講師たちの前で、普通の家庭でくり広げられるような一家の話もしたという。

上皇は戦前の生まれで、昭和天皇が現人神とされた時代を実際に体験している。それが、敗戦によって激変したわけで、天皇に即位してからは「象徴としての役割が何か」を絶えず考え続けてきたという。

そこには、戦前のことが影響しているし、また、「象徴天皇」としてのあるべき姿を国民に示さなければならないという強い自負もあったことだろう。そうした力みのようなものが、今の天皇からはすっかり抜けているということではないだろうか。国民と苦楽を共にしてきたというのは、今上天皇の、そして天皇一家の実感なのである。

では、今回議論になっている旧宮家との関係はどうなのだろうか。