“自分”を出すのに33年かかった

私も今回のことで『人に育てられたシロクマ・ピース』という本を手に取ってみたのだが、「高市家の新しい妹」のピースが、お姉ちゃん(小3)とお兄ちゃん(幼稚園・年長組)と一緒に寝ている写真など、とんでもなくかわいい。雅子さまはそれらを見て、「夢」を募らせたに違いない。クマ舎で高市さんから説明を受け、その後は高市さんとだけ懇談するはずだった。だが急遽、家族も交えての懇談となったそうだ。ピースを初めて動物園に置いて帰った日のことを高市さんが語ると、雅子さまはバッグからハンカチを取り出して涙を拭われていたという。

最後には池田敬明園長に、「実は」と言って、「私は子供の頃に飼育係になりたいと思っていました」と語ったそうだ。雅子さまがこんなに自分というものを出すなんて、まさかこんな日が来るとは。

参考:朝日新聞「皇后さま、動物園で語った『もう一つの夢』 愛媛を訪れピースと対面

陛下と雅子さまのご成婚は1993年6月9日だった。33年かかって、雅子さまはやっと自分を出せた。逆に言うなら、自分を出すのにそれだけの年月がかかった。外から入った人間にとって皇室とは、一朝一夕には我がものにできる相手ではない。そう改めて知らされたような気持ちになった。

1993年6月9日、結婚の儀に臨む皇太子徳仁親王(現天皇陛下)と小和田雅子(現皇后陛下)
1993年6月9日、結婚の儀に臨む皇太子徳仁親王(現天皇陛下)と小和田雅子(現皇后陛下)(写真=在ムンバイ日本国総領事館/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

雅子さまの文書の中で忘れられないのが、令和になって初めてのお誕生日に公表されたものだ(「皇后陛下お誕生日に際し(令和元年)」)。「感謝」という言葉を6回、「御礼」という言葉を2回使って、上皇ご夫妻、陛下、愛子さま、そして国民への気持ちを表していた。一つ引用してみる。

天皇陛下のご即位以来、(略)多くの国民の皆様から、思いがけないほど本当に温かいお祝いを頂きましたことに、心から感謝しております

“自信のようなもの”を奪った皇室の手強さ

当時、陛下と雅子さまの行くところ行くところ大変な人が集まり、誰もが口々に「陛下ー」「雅子さまー」と叫んでいた。それを「思いがけない」と表現する雅子さまからは、皇后になった高揚というより、安堵のようなものが伝わってきた。

控えめな方だとわかっているが、それにしても皇室での日々が雅子さまの自信のようなものを奪ってしまったのだと感じたものだ。確かに平成から令和への代替わり前、雅子さまは行事をこなせるのだろうかと心配する声があった。ひとえに「適応障害」という病を得た雅子さまを案ずる声だった。

「お世継ぎを」というプレッシャーが雅子さまに与えた苦悩をわかっていたのは、夫である皇太子さまだけ。そんな環境がどれほど過酷だったか、今なら多くの国民が知っている。そして令和も8年たち、雅子さまはやっと自分を出せた。皇室とはなんと手強いものだろう。

では雅子さまはなぜ今回、自分を出せたのか。「動物だから」もあると思う。雅子さまの動物愛は相当濃い。婚約が決まった皇室会議の直後、母の優美子さんが「文藝春秋」(1993年3月号)で雅子さまとハツカネズミのエピソードを明かしている。田園調布雙葉小6年の雅子さまは夏休みに、3匹のハツカネズミを預かった。休みが終わる頃には50匹ほどになり、しかも入れていた漬物の樽から脱走、大騒動になったという。