小学2年生から寮生活がスタート
物心ついたときからすでに働いていた母。私が最初に入った小学校はとてもコンサバティブな校風で、当時多くの家庭がそうだったように「お母さんは家にいる」のが当たり前でした。私のように、母の代わりにお手伝いさんが迎えに来たりするのは珍しいこと。自分の存在はどこか浮いていると感じていました。異質な存在に寛容ではない学校側が醸し出す雰囲気や理不尽な態度に、母の怒りが爆発。話し合いが行われた結果、私は別の学校へと移ることになりました。
新しい学校はリベラルな校風で国際色豊か。私自身、解放されてラクになったのと、視野がどんどん広がっていくのを感じました。いちばん大きく変わったのは寮生活になったこと。平日は寮に泊まり、週末は家に帰って家族と過ごすという生活です。寮は二段ベッドがふたつ並ぶ4人部屋で、とても質素な空間でした。洗濯機も脱水機しかなかったので、簡単なものは自分で手洗いして自分で干します。冷たい水しか出なかったので、冬は手が霜焼けになり、父はよく「こんなにかわいそうな子はいない」と嘆いていました。
お土産を手に母は空港から寮に直行した
ただその生活で養われたのは自立心。起きてすぐのベッドメイクから日々の身だしなみ、たとえば髪の毛をしっかり乾かし、ブラッシングするなどはあたり前だと思って育ってきたので、自分とその周辺をより美しく整えるようになりました。寮長先生は、財閥の奥様でもあり、私はとても尊敬していたのですが、彼女はたまに生徒の部屋に泊まることがありました。「整理整頓されているから」という理由で自分の部屋が選ばれたときはすごく誇らしかった。その夜は世界文学の読み聞かせをしてくれたりして、知的な佇まいや所作の美しさに憧れたことを覚えています。
写真の可愛らしいぬいぐるみは、寮生活を送る私に母から贈られたものです。ひとつは「Baby Dior」のお人形。ディオールが初めて子ども服のブティックをパリのモンテーニュ通りにオープンしたとき、母がひと目惚れして手に取ったもの。ミッキーの人形はロンドンの空港で購入したものだそう。
母はこれらを私に手渡したい一心で、成田空港から寮へと直行。髪の毛はウルフカットでトレンチコートを羽織り、ミニスカートにニーハイブーツという最先端のモードファッションで現れるのです。今でも脳裏に残っているのは、先生方が見守るなか、そのブーツがなかなか脱げなくて苦労している姿。愛おしいやら恥ずかしいやらで、われながら「シュールだなぁ」と感じたのをよく覚えています(笑)。