軍事拠点にしてはスキだらけ
吹き抜け構造は、軍事施設としては不向きである。たとえば、城内を東西や南北に移動するのに、回廊を廻っていかねばならない。居住空間としても適切ではない。
また、信長自らが見物料を徴収して、安土城を一般にも開放したという逸話が残っている。安土城が軍事施設であれば、敵の間者もいるだろうから、そんなことはしないだろう。
そう考えると、信長は安土城を宗教施設として作ったのではないかと思えてくる。フロイスの『日本史』に記述されているように、信長には自らを神として崇めさせるような言動があったからである。
安土城で「神」になろうとしたが…
フロイス著『日本史』によれば、信長は安土城に併設した摠見寺に巨大な石を祀る祭壇を設け、信長自身を崇拝すること、自分の誕生日を祭日として摠見寺に参詣することを命じた。
本能寺の変で信長はあっけなくこの世を去ると、フロイスはその死を「神を冒涜した者への天罰」と解釈し、バビロンの王ネブカドネザルの傲慢さにたとえ、ゼウスが信長を許さず、身を亡ぼしたと故国ポルトガルに報告した。そして、その名前だけで万人を戦慄せしめていた人間が、毛髪の一本も残さず灰になったと書き残した。摠見寺を併設した安土城が信長の死とともに灰燼に帰したのも、フロイスから見れば、神の思し召しといったところなのだろう。
1963年北海道生まれ。國學院大學経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005~06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、國學院大學博士(経済学)号を取得。著書に『企業集団の形成と解体』(日本経済評論社)、『日本の地方財閥30家』(平凡社新書)、『最新版 日本の15大財閥』『織田家臣団の系図』『豊臣家臣団の系図』『徳川家臣団の系図』(角川新書)、『三菱グループの研究』(洋泉社歴史新書)など多数。