故国イギリスへは帰りたくなかった

幾つかの不運が重なって、アメリカの大学での連続講演は実現しませんでした。またイギリスの大学からも誘いがあったようですが、これにはハーンは躊躇を示しています。

「イングランドはもちろんだめです。あの『恐ろしく型にはまった国では、何ひとつ稼ぐ機会はありません。」

「イングランドの話はよいのですが、――しかしイングランドにはとても強力な私の敵がいることを、おそらくあなたはご存じではありません。メソジスト派の偉い牧師ヒュー・ブライス・ヒューズの姉妹であるミス・ヒューズという女性が、教育使節として当地に派遣されてきました。彼女の仕事の一つは、大学から私を追い出す陰謀を企てることだということが明らかになりました。」

「イングランドでは、国教徒ではない者みんなが――まるで象が蠅を踏み潰すがごとくもなく――私を押し潰そうと待ち構えているでしょう。」

こうした一連のコメントは、ハーンが少年期の不幸な体験(特に宗教にまつわる)から依然として精神的に自由になっていないことを雄弁に物語っています。

「日本ほど安く暮らせる国はない」

53歳になっても、ハーンは外界がまだ恐ろしかったのです。そして彼の場合、その恐怖は常に金銭的な欠乏と密接に関係していました。(アメリカ新聞記者時代の同僚で友人エリザベス・)ビスランドへの手紙には繰り返しアメリカでの経済的な保証について疑問や危惧が述べられています、どれほど貯金があっても、その不安は生涯ハーンの胸から消えなかったのです。

ジャーナリスト兼小説家のエリザベス・ビスランド
ジャーナリスト兼小説家のエリザベス・ビスランド〔写真=エリザベス・ビズランド『In Seven Stages:A Flying Trip Around the World』(ハーパー・アンド・ブラザーズ)/PD US/Wikimedia Commons

何度か企てたアメリカ行きが、すべて不調に終わった後、ハーンは1903年8月、ビスランドにその胸中を述べています。

「今日はずっと勇気が出ていますし、ここ日本で頑張ることができると思います。健康さえよければ、とにかく自分の仕事で生活できる相当のチャンスがあることがわかりました。――そして、もし筆で生きてゆかねばならないのならば、日本ほど安価にやっていける場所は世界中でどこにもありません。息子は成長したら、外国へやることもできるでしょう。」

現在の自分の安定した生活は、日本にいるからこそ保証されているとハーンは悟ったようです。