「怠け者」を嫌う文化

私たちの文化は、「怠け者」を毛嫌いしている。

しかも「怠惰」と見なす対象は、残酷なほど広範に及ぶ。薬物依存症から抜け出したいのに再発した人は、怠惰なせいで依存症を克服できないと決めつけられる。失業中の人がうつ病で起き上がるのもつらく、就職活動ができないのも怠惰だとされる。

キムは毎日フルタイムで働きながら、必要な物や安全な場所を探し、家族が寝泊まりしている壊れたミニバンの中で、子どもたちに算数や読み書きを教えていた。それでもキムは怠惰だと扱われる。もっと働いて貧困から抜け出せばいいのに、と思われるのだ。

「怠惰」という言葉は、大体いつも、道徳的な非難の意味合いで使われる。誰かを「怠け者」呼ばわりする場合、それは単なるエネルギー不足ではなく、「その人自身に大きな問題や欠陥があるのだから、何が起ころうと個人の責任だ」というニュアンスを伴う。

怠惰な人には努力が足りないし、本当は正しい決断もできたはずなのに自分で悪い道を選んだのだから、そのような人は支援する価値がなく、配慮や同情の余地もない、というわけだ。

そうやって人びとの苦しみに目を向けずにいれば、気分は楽かもしれない(ひどいやり方ではあるが)。

もし本当に、通りで見かけるホームレスの人が全員、ただ「怠惰」だったせいでその境遇にあるのなら、小銭を渡す必要はない。ドラッグ所持で逮捕歴のある人が、単に「怠惰」であるために定職に就けないのなら、薬物政策に気を揉む必要もない。担当している学生の成績が悪いのも、もし本当に「怠惰」だけが理由ならば、私だって教え方を変えたり、課題の提出期限を延ばしたりする筋合いはないだろう。

けれど、人生というのはそう単純ではない。

コスタリカのナマケモノ
写真=iStock.com/Harry Collins
※写真はイメージです

「本人の努力が足りない」わけではない

ホームレスの人は、家庭内暴力や虐待の被害者など、何かしらのトラウマを抱えているケースが多い。路上生活をしている10代の若者の多くが、同性愛やトランスジェンダーへの偏見を持つ親によって家を追い出されたり、里親制度の欠陥の犠牲になっていたりする。長期失業者の多くは精神疾患を抱えており、失業期間が長くなると症状も悪化しがちで、就労はより困難になる。薬物依存症の再発は、総じて貧困やトラウマなど別の要因が絡んでいるため、治療も単純ではなく、繊細な対応が必要だ。

世間から「本人の努力が足りない」と蔑まれている人は、ほとんどの場合、他者からは見えない障壁や困難と懸命に闘っている。これは教員生活でも実感したことだ。

出席状況や成績の悪い、一見「怠惰」に思える学生に連絡を取ると、その学生は私生活で困難に直面している。メンタルヘルスや過労の問題もあったし、年配の家族や病児のケアを抱えている場合もあった。ある学生などは、1学期16週の間に親を亡くし、災害で自宅を失い、さらに娘が重度のうつ病で入院していた。そのような厳しい状況下でも、本人は課題ができない自分を責め、実情を伝えてもどうせウソだと疑われるからと、事実を証明する書類をいつも持ち歩いていた。

「怠け者」と見なされることへの恐れは、これほど深く根付いている。