揉めがちな修学旅行の班決め

欲求に手綱を付けて「外界との調和」をしていくことに加え、学校だからこそ身につけられる「こころの発達」があります。それが「自由の相互承認」です。説明のため、最近の学校でよくある光景を紹介しましょう。

【事例:小学校六年生の担任の嘆き】

小学校六年生のクラスの担任が、「修学旅行の班決めが進まない」とスクールカウンセラーにため息交じりに話す。何人かの児童が「○○ちゃんと同じ班じゃないと修学旅行に行けない」「バスの隣は××さんじゃなきゃイヤだ」などと主張を繰り返しているという。

ドイツの哲学者ヘーゲルは「お互いに自由がある」という状況で大切なのは、ひとまず「他者にも自由があるという事実を認める」ことだと主張しました。自分は自由を求めているが、他者も同じく求めているので、互いの自由をすり合わせて調整していくということが大切であるという考え方で「自由の相互承認」と呼ばれています。互いの自由をすり合わせることなく「き出しの自由」を他者に押し付ければ、さまざまな争いになります。先ほどの事例は、「剝き出しの自由」によって生じる争いの典型的なものです。

2016年4月22日、日本の小学生が奈良の興福寺に遠足
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他者を他者として認める

学童期前半の未熟な子どもは「外界との調和」がうまくいかず、どうしてもいさかいになってしまいます。このとき、教員などの大人がいさかいの仲裁に入りますが、これは仲良くすることを強制しているのではありません。本質としては「他者にも自由があるから、それをすり合わせましょうね」という「自由の相互承認」への誘いを行っているのです。こうしたぶつかり合い、すり合わせの実体験を通して、子どもたちは「自由の相互承認」の感覚を身体に刻み込んでいるのです。

「自由の相互承認」の感覚が根付くことで、子どもたちは「他者を他者として認める」ことがしやすくなります。他者が自分と違う考えを持っていても、好きになれなくても、自分や他者の自由を侵害していない限りは「他者の存在」を承認する。これは社会を成り立たせ、そこで生きていくために欠かせないことです。教育哲学者の苫野とまの一徳いっとくは、子どもたちに「自由の相互承認」の感度を育み、「自由の相互承認」を原理とした社会を実質化していくことが教育の担う使命であると述べています。