大切なのは「外界との調和」
多くの子どもが一緒に過ごす学校にはルールがあるので「全部自分の思う通り」とはいかず、多少なりとも「外界との調和」が求められます。ただ、それは単に「ルールだから守るべき」という話ではなく、この年齢の子どもの「こころの発達」に関連する課題なのです。
小学校入学前の遊びは「集まっても別々のことをしている」という未熟な段階なので「外界との調和」は強く求められませんが、小学校入学後の発達段階になると集団で協同的に遊ぶようになります。すると、ルールに従わなければならないし、折り合わなければならないし、競争の結果、負けることも覚悟しなければなりません。アメリカの精神科医ハリー・スタック・サリヴァンが学童期の子どもの課題として「協力、妥協、競争」を挙げているのは、こうした事情があってのことです。
ここでルールを自分本位に曲げる、負けを認めないなど「全部自分の思う通り」にしていては、子ども同士で遊べなくなります。小学校からは遊びや人間関係の発達という観点からも、子どもが自分の欲求に手綱を付けて「外界と調和すること」が大切になってくるのです。
ただ、困ったことに「外界との調和」という言葉は、ガマンや自己犠牲と混同されやすいようです。しかし、これらはまったく別物なので詳しく説明しておきましょう。
大人の言いなりも子供の言いなりもNG
昭和の子育てイメージは「子どもは親の言うことを聞け!」という感じだったと思います。
一方で近年は、上で述べたような「親が子どもの言うとおりにしてあげる」というパターンを目にするようになりました。この二つは対象が入れ替わっているだけで「誰かの思い通りにする」という点では同じです。実は、こうした関わりがガマンや自己犠牲を生んでしまうのです。
「言うことを聞け!」と大人の考えを押し付けられ、反発すらできなければ、それはガマンや自己犠牲になるでしょう。また、思う通りに現実を変えてもらってきた子どもからすれば、学童期の大切な課題である「協力、妥協、競争」でさえガマンや自己犠牲と感じられることでしょう。すなわち、「身勝手な押しつけ」をしたりされたりしてきた子どもは、人間関係においてガマンや自己犠牲を敏感に感じやすいのです。


