信長が妹を嫁がせたかった事情

長政以前の浅井家の婚姻は、近江国内の有力者との連携強化に重点が置かれている。浅井家は一国衆から北近江を牛耳る勢力に擡頭たいとうしたこともあり、国内地盤を固める必要があったからだろう。

東京国際映画祭に参加した俳優の中島歩(「豊臣兄弟!」浅井長政役)、2021年10月30日、東京都
写真提供=WireImage/ゲッティ/共同通信イメージズ
東京国際映画祭に参加した俳優の中島歩(「豊臣兄弟!」浅井長政役)、2021年10月30日、東京都

こうしたことから、長政とお市の方の婚姻は浅井家の発想ではなく、信長から提案されたのではないかと考えられる。

【図表】浅井家の系図
筆者作成

一方、信長の方の事情を考えると、永禄4年5月に斎藤義龍(DAIGO)が急死し、信長は美濃侵攻を本格化させている。信長としては北近江の浅井家と同盟を組んで、美濃斎藤家の背後を脅かしておきたい。ところが、斎藤龍興たつおき(濱田龍臣)の母を亮政の娘(長政の叔母)とする説がある。こうなると、単なる同盟だけではダメで、婚姻関係にまで進まなければ、浅井・斎藤間の連携を断ち切れない。

実際、永禄4年5月頃に信長と長政は同盟を結んでいるので、同盟と同時に婚姻を打診し、翌永禄5(1562)年から永禄6(1563)年にかけて輿入れが実現――というスケジュールが最も妥当なところではないか。