史実でも「大磐石」と呼ばれた秀才

錦織のモデルは西田千太郎という。ハーンの13歳年下で、成績が際立って優秀だったので「大磐石」と呼ばれたのは、「ばけばけ」の錦織と同じである。松江中学(のちの島根県尋常中学校)ではずっと首位で、経済的事情から同校の中退を余儀なくされたが、それなのに学校から請われて授業手伝、つづいて教諭試補になっている。よほど優秀だったということだ。

その後、依願退職して上京し、アメリカ人やイギリス人から英語を学び、心理学や論理学、地学や哲学も一部は独学で習得し、明治19年(1886)には文部省中学校教員の検定試験に心理学、論理学、経済学、教育学の各分野で合格。兵庫県や香川県で教えたのち、母校から請われて、英語のほか全教科を教えることになった。