ブレイン・ハック習慣術 第3回
世界のビッグテックが注目する「行動経済学」とは
いま、世界のビジネス界がもっとも注目している学問のひとつに「行動経済学」がある。行動経済学は、人間の行動メカニズムを解明し、「なぜその行動をしてしまうのか」を科学的に理論化する新しい学問だ。
GAFAM(Google、Apple、Meta、Amazon、Microsoft)と呼ばれる米国のビッグテック企業をはじめ、グローバルな公的機関などでも、非合理な人間心理を学ぶ教養としてこの行動経済学を取り入れてきている。
行動経済学が一般に広まる以前の2000年ごろから20年以上にわたり、同分野を研究・実践してきた相良奈美香氏は、同学問が注目される背景には、人間がそもそも「非合理的な行動」をする存在だとわかってきたことが大きいと語る。
「伝統的な経済学では、人は常に合理的な判断をすることが前提とされてきました。でも実際は、ダイエット中でもお菓子を食べてしまいますし、将来のために貯蓄すべきだとわかっていても、目の前の欲に負けて無駄遣いをしてしまいます。行動経済学は、こうした人間の非合理な心理を従来の経済学に融合し、これまで説明しきれなかった人間心理に踏み込み、経済活動における人間の行動全般を解明しています」
行動経済学コンサルタント。行動経済学を専門とする博士。米国と日本を中心に、10カ国以上で行動経済学の導入支援を行い、GAFAMを含むグローバル企業に対してコンサルティングを提供。あわせて、コンテンツ制作・配信を通じ、行動経済学を社会に広める活動にも注力している。代表作『行動経済学が最強の学問である』(SBクリエイティブ)は19万部を超えるベストセラーとなり、日本における行動経済学の認知拡大に大きく貢献した。
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脳は「将来の大きな利益」より「目の前の小さな報酬」を選ぶ
そもそも「わかっているのに、できない」という行動と認識のズレを理解するためには、まずは人間が目の前の誘惑に弱い存在だということを自覚する必要がある、と相良氏は言う。
「私たちは、自分のことを『合理的に判断して行動している』と思いがちですが、実際はそうではありません。人は将来の大きな利益よりも、目の前で得られる小さな報酬を優先してしまう傾向があるからです」
この特性を行動経済学では「現在志向バイアス」という。将来の健康や安全、成長といった長期的な利益よりも、「今この瞬間に楽しいか」「いま面倒ではないか」といった短期的な感情や快・不快を重視してしまう心理的傾向のことだ。
たとえば、毎日運動を続ければ健康になると理解していても、帰宅後にソファでスマートフォンを手に取ってしまったり、資格取得が将来に役立つとわかっていても動画配信サービスを眺めてしまったりする経験は誰にでもあるだろう。こうした行動は、単に意志が弱いからだけではなく、人間の脳が「目の前の報酬」に強く反応するようにできているからだと相良氏は説明する。
「健康増進や学習の効果が出るまでには時間がかかります。一方で、テレビを見る、甘いものを食べる、スマホを触るといった行動はすぐに快感や安心感が得られるため、脳は後者を選びやすいのです。つまり、体に良いことが続かないのは、即時的な報酬が得られないからです」
「報酬の遅延」が習慣化を阻む
人間が『後回し』にするのは、運動や勉強のような「しんどいこと」だけではない。簡単なことであっても、すぐに効果が実感できなければ、脳はやりたがらない。たとえば、脳が高い集中状態にあるときに多く観測される「ガンマ波」という脳波の特性に着目した「ガンマ波サウンド」が良い例だ。音を聴くだけで脳波に働きかけ、将来の認知機能にも影響を与える可能性があると注目されているが、聴いた直後に劇的な変化を体感できるわけではない。そのため、「ただ聴くだけ」という簡単な行動ですら、習慣化しにくいという現象が起きる。
「ガンマ波サウンドに限らず、健康や体力向上などは『今日やったから明日すぐ変わる』という性質のものではありません。すると脳は行動を後回しにしてしまうため、習慣化が難しくなります」
こうした特性は、行動経済学では「報酬の遅延」と呼ばれる。行動の結果として得られるメリットがすぐには表れず、時間を置いてから初めて実感される状態を指す。
「人間の脳はもともと、遅れてやってくる報酬を正しく評価するのが得意ではありません。5年後、10年後のために今日何かをするという意思決定は、脳にとっては非常に抽象的で、現実感を持ちにくいからです」
「今日は忙しいから」「明日からでいいか」と言い訳を重ね、結果的に“やらない”という選択につながるのにも理由があったのだ。人は直近の報酬がない行動を、無意識のうちに重要度が低いものとして処理してしまう。
「この特性は、意思の力で克服しようとするものではありません。むしろ、脳が報酬の遅延に弱いという前提を理解し、どう行動を設計するかを考えるべきです。意識だけで続けるのは無理があります。脳が自然に動いてしまう仕組みを先につくれば、無理なく習慣化できるようになります」
成果ではなく「行動そのもの」を肯定する
では、物理的な変化が見えにくい行動を習慣化するには、何をより所にすればよいのだろうか。
「将来型ベネフィットを持つ行動を習慣化するためには、評価軸を『成果』ではなく『行動そのもの』に置くのが有効です」
具体的な効果を毎回確認しようとすると、変化が感じられないことに対し、脳は「意味がない」と判断してしまう。そのため、数値や体感といった客観的成果ではなく、「今日はちゃんと聴いた」「いつもの時間に行動できた」という事実を指標にすることが大切だという。
「聴いた時間を記録する、カレンダーに印をつけるなど、小さな確認行為が『継続できた自分』というポジティブな認識を生み出し、さらなる継続につながります」
また、ハードルを極限まで下げることも重要だ。「毎日30分」ではなく「1分でも聴いたらOK」と定義することで、心理的ハードルはグッと下がる。
「習慣化は意志の問題ではなく、感情のマネジメントです。目標を高く設定しすぎると、できなかった日のネガティブな感情が強くなり、挫折の原因になります。自分を評価する基準を変え、いかにネガティブな感情を生まないようにするかが、習慣化の鍵なのです」
【コラム】脳の働きを支えるガンマ波サウンドの新習慣 Q&A
Q:普通の音楽やテレビの音と何が違うの? 違和感なく聴き続けられる秘密とは?
ガンマ波サウンドは、普通の音楽やテレビの音の中に一定の周期(40Hz)のリズムを組み込んだ設計が特徴です。脳のリズムとの関係に着目しており、研究ではこの音によって脳内のガンマ波活動が誘導されることも確認されています。特別な操作を必要とせず、日常の音環境に自然に溶け込むため、「ながら」で無理なく取り入れやすい点が継続につながると考えられています。
ブレイン・ハック習慣術
- なぜ「体に良い」ことも続かないのか? 人間の「非合理性」と習慣化の壁
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