悠仁親王は誰の背中を見て育つか
ただそうなると、天皇や皇后の背中を見ながら皇族としての務めを果たしていくということが、次の天皇には求められることになる。
本人は望んでいないが、次代は秋篠宮である。秋篠宮も今上天皇と同様に、上皇夫妻の背中を見ながら育っている。
これが悠仁親王になると、父親は秋篠宮で今上天皇ではない。今上天皇と行動をともにする機会はほとんどない。宮中祭祀に参列し、今上天皇が一年でもっとも重要な新嘗祭を営む姿を間近で見る機会はあり、それは重要なことだが、かなり限定されている。
悠仁親王が大学生活を送っている間は、公務の機会も大学が休みの期間に限られる。学年が進めば、忙しさは増す。その後、留学すれば、公務から長期間遠ざかる。
「愛子天皇」待望論がさらに高まるワケ
問題は、留学が修士課程で終わるかどうかである。生物学者になることを運命づけられたかのような歩みをしてきたことからすると、本人は博士課程への進学を希望するのではないだろうか。両親はどちらも博士号を持っている。イギリスで博士号を取得した皇族としては、すでに三笠宮家当主の彬子女王がいる。
留学が長くなれば、公務からは遠ざかり、天皇の背中はますます遠くなる。
果たしてそれでいいのか。それは本人にとってもマイナスになるかもしれない。悠仁親王に対する帝王学の“不在”は、真剣に考慮されてしかるべきである。
その間に、愛子内親王は天皇夫妻の背中を見ながら公務をこなしていくわけで、そこでも差が生まれる。それは「愛子天皇」待望論をさらに高める方向に作用する。
悠仁親王が幼少時代から関心を寄せてきたトンボの古名は「秋津」で、「秋津島(洲)」は日本の本州の古代の呼称とされてきた。トンボについての関心が、日本そのものへの関心に発展する。そういう道筋をつける手立てを講じておく必要があるのではないだろうか。
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。