生物学一家でもある天皇家の継承
生物学の研究は天皇家の伝統でもある。よく知られているように、昭和天皇はヒドロ虫(ヒドロゾア)類や粘菌の研究を行い、相模湾では新種を発見している。皇居内には昭和天皇が研究をするために、「生物学御研究所」が設けられたほどだった。これは現在、東京・立川の国営昭和記念公園に移築されている。
昭和天皇の生物学への関心は現在の上皇にも受け継がれ、ハゼ類の研究を行ってきた。さらには秋篠宮にも、そして悠仁親王にまで伝えられてきた。その面でも、悠仁親王が生物学を志すのは自然である。天皇家は生物学一家でもあるのだ。
しかも、昭和天皇は、皇居や赤坂御用地をビオトープにする上でも決定的な貢献をしている。皇居の場合、江戸時代には江戸城だった。赤坂御用地も紀州徳川家の江戸中屋敷だった。したがって、どちらの景観も現在とはまったく異なっていた。
戦前の吹上御苑内には9ホールのゴルフ・コースもあり、やはり今とは異なる。それを大きく変えたのが戦後の昭和天皇で、「武蔵野の姿に戻したい」という意向の下、皇居は大きく変貌した。昭和天皇の有名な言葉として、「雑草という草はない」(最初に植物学者の牧野富太郎が言ったともされる)があるが、自然を深く重んじていた。その結果、現在の皇居には約6000種の動植物が生息している。
昭和天皇には“息抜き”であった生物学
一方、赤坂御用地のほうは、上皇夫妻の仙洞御所をはじめ秋篠宮家や他の宮家の屋敷があり、また園遊会の会場にもなるため、人の手がかなり入っている。それでも、日当たりがよく、明るい環境を好む植物や昆虫が数多く見られる。
その点では、昭和天皇の意向によって、皇居と赤坂御用地には豊かな自然が戦後になって生み出されるようになり、それが悠仁親王のトンボ研究に道を開くことになったのである。
しかし、悠仁親王は、アカデミズムの世界で生きていく人間ではない。
将来において天皇に即位する存在である。となると、果たして生物学者への道を歩むだけでよいのか、どうしてもそうした疑問が湧いてくる。
最近、古川隆久氏による『昭和天皇 「理性の君主」の孤独』という中公新書の増補版が刊行された。そこでは昭和天皇の生涯がつづられているが、生物学に関連することとしては、1929(昭和4)年に巡幸した際、和歌山県の田辺で粘菌の研究で知られる在野の研究者、南方熊楠と学問談義を交わしたことくらいしか出てこない。昭和天皇にとっての生物学の研究は息抜きとしての性格を持っていたわけだが、では、悠仁親王にはどうなのだろうか。