稲垣家の娘として育った小泉セツ
セツは、「一国中の貴族」とも表現された「上士」の小泉家に生まれた女だったが、「お七夜」の翌日、乳母と共に、稲垣家に連れて行かれ、同家の一人っ子養女として育った。今、松江の小泉八雲記念館では、「稲垣セツ」と書かれた小学下等教科の卒業証書を、見ることができる。松江藩の足軽を除く「本士(士分の侍)」は約千人を数えたが、百石取りの稲垣家は、その中程の家格であった。
その「足軽を除く士分の侍」こそ、西洋化に指向する「明治の近代化」の犠牲となり、限りなき苦悩をなめた社会階層であり、その娘たちは、総じて哀れな境涯に身を沈めたものである。そうした女性たちの一人を主人公として、ハーンは感動的な作品を書いている。それは『心―こころ』という題名の本に収められた「君子」で、平川祐弘・東京大学名誉教授の手になる名訳がある。
君子は、母と妹のために身を売って芸者となった。美貌と頭脳明晰の故に、何人もの男性から「身受け」の申し出を受ける――妻に、奥方にというものであった。しかし己は花柳界の業火に焼かれた身、母となる資格を有しないとして、素封家の息子の家に入りつつも、体を許さずに出家し、托鉢して寂滅(ニルヴァーナ・死)の時の至るのを待つ。托鉢の途中で男の家の前に立ち、結局は妻帯し父となった男の幼い息子に、「この世でまたとお目もじできぬ者が、坊ちゃんを見させて貰うて嬉しいと申しました」と伝言させる。
セツの養父には覇気がなかったか
なお、武士の娘については、山川菊栄が『武家の女性』の中で、幕末に混乱を極めた水戸藩の中でも、凛として生きようとした女たちを語り、越後・長岡藩の筆頭家老(稲垣平助)の娘である杉本鉞子が、英語の自叙伝である「A Daughter of the Samurai」(邦訳『武士の娘』)を書いている。
「士分の侍」は代々家禄を受け取って生きてきた。稲垣家での最後の当主はセツの養父・金十郎であり、セツの生家(小泉家)の嫁であったチエは、手紙の中でセツの養祖父の万右衛門を「ご隠居」と呼んでいる。金十郎は至って気のいい男であったが、セツと八雲の長男である一雄は、「覇気に乏しい」と記し、言わば「甘い物中毒」(胃潰瘍)で命を落としている。一方、万右衛門は、その古武士気質が、新時代への、また家族構成を新たにした稲垣家への、適応を困難にしていた、と見てよいと思われる。