「秀長」ではなく「長秀」

秀長の前半生は不明なことばかりだが、大きな流れは「豊臣兄弟!」の展開とそれほどズレていないのではないだろうか。

秀長の名が同時代の史料にはじめて見えるのは天正元年(1573)8月で、「木下小一郎」と記され、「長秀」という花押が書かれている。「秀長」と名乗るのは、小牧・長久手合戦の最中の天正11年(1583)8月ごろで、それまでは「長秀」と記され、「長」は信長の偏諱(貴人の2字以上の名の1文字)を賜ったものと考えられている。