町人と政治を同時に描く難しさ
第5位は、歴史ドラマに不可欠である一方、両刃の剣にもなった側面を挙げておく。蔦重を中心とする町人の世界と、徳川家や幕閣を中心とする政治の世界がパラレルで描かれた点である。それによって時代の全容が、両者がからみ合って時代を動かすダイナミズムとともに立体的に描かれ、筆者にはおもしろかった。一方、両者の関係がつかみにくいという声もよく聞こえた。
ただ、それは脚本やドラマのつくり方の問題ではない。蔦重および吉原の連中やアーティストたちは、基本的には政界との直接のつながりはない。だが、彼らは政治の決定に否応なく翻弄される。
だから、政治の世界を描く必要があるのだが、それを蔦重が中心の世界に違和感なく絡めてドラマを進行させるのは難しい。町人を主人公にした大河ドラマで政治を見せることの難しさが浮き彫りになった、といえる。
第4位も大きな問題ではないが、田沼意次(渡辺謙)の悲嘆を色濃く描こうとして、リアリティが失われたと感じられた場面である。
第27回「願わくば花の下にて春死なん」(7月13日放送)で、意次の嫡男の意知(宮沢氷魚)は、殿中で佐野政言(矢本悠馬)に斬りかかられて深手を負い、第28回「佐野世直大明神」(7月27日放送)でこと切れた。
田沼意知の妻子は意図的に隠されたのか
時は天明の大飢饉の最中。意知は米価高騰の元凶のように誤解されていた折から、テロを敢行した佐野が「世直し大明神」と讃えられた。そんな現代にも起こりうる民衆のゆがんだ欲求もよく描かれていたが、意知が絶命する場面が不自然だった。
意知は老中の松平康福の娘を正妻に娶っており、男児も3人いた。それなのに、意次と側近の三浦庄司(原田泰造)だけに看取られ、意次の号泣に包まれるのでは、お涙ちょうだいを意識した結果にしても、やはり不自然ではないだろうか。「べらぼう」では、意知が吉原の花魁の誰袖(福原遥)と恋仲だという設定だった。ひょっとして、その純愛イメージを維持するために妻子を隠したのか。それもまた不自然だろう。
第3位は、蔦重の喜多川歌麿(染谷将太)への態度を挙げる。第42回「招かれざる客」(11月2日放送)では、蔦重が歌麿を商売道具としてしか見ていない、と思われるやり取りがいくつかあった。なかでも次の場面がひどかった。
蔦重は吉原の「忘八」たちに、女郎の大首絵の揃いものを出さないかと持ちかけ、歌麿が50枚の女郎絵を描けば、蔦重が吉原に借金100両を返済したとみなす、という約束を取りつけた。だが、この話は歌麿への事前の打診がまったくなかったのである。