激動の時代を生き抜いた女性
日々の仕事の中で、ふとした瞬間に立ち止まってしまうことはありませんか。普段は気にしないような学歴や性別といった「見えない壁」にぶつかったり、予期せぬ人間関係の破綻や逆境に直面したりと、その道のりは決して平坦ではありません。
本稿では、NHK連続テレビ小説のモデルとして今、脚光を浴びている女性、小泉セツに着目します。
世界的な文学者ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻として知られる彼女の生涯は、まさに「ばけばけ(化ける)」と呼ぶにふさわしい劇的な変遷と波乱に満ちています。
没落士族の家で貧しさの中で育ち、学問への憧れを抱きながらも「私には学歴がない」と浅学を恥じたセツ。現代社会においても、形式的なスペックがキャリアの足枷になると感じている方は少なくないでしょう。しかし、夫である八雲は、彼女の真価を完璧なひとことで肯定しました。スペックではなく、その人が積み上げてきた「実績」と「貢献」こそが、真の価値を生むことをセツの生き方は教えてくれます。
セツはハーンと出会う前、経済的な理由から最初の夫に逃げられるという大きな苦難を経験しています。しかし、その逆境があったからこそ、彼女は後にかけがえのないパートナー、八雲と結ばれ、『怪談』をはじめとする世界的な名作の誕生に不可欠な共同制作者へと「化ける」ことができたのです。人生における予期せぬ挫折や失敗は、実は次のステージへの壮大な布石かもしれません。
本稿では、プレジデントウーマンオンラインで配信した記事3本を紹介します。困難な時代を生き抜いたセツが残したメッセージを、一緒に読み解いていきましょう。
朝ドラ「ばけばけ」のモデル、セツの家はなぜ貧しかったのか…名門松江藩が明治の文明開化に乗り遅れたワケ
(2025年9月30日公開)
出雲18万6千石の城下町松江の、上級士族の屋敷が立ち並ぶ静かな南田町の一角。
東は堀を背にし西は中之町の通りに面して、門越しに松江城を望む小泉邸に、一人の女の子が産声を上げた。時は慶応4年(1868)2月4日。生まれた子はセツと名づけられた。
小泉家は代々300石を食み、50人の組士の侍を統率する番頭を務めてきた家柄であった。…続きはこちら
朝ドラ「ばけばけ」のモデル・小泉セツは貧しく「私には学歴がない」と恥じた…夫の八雲が返した完璧なひとこと
(2025年9月29日公開)
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850~1904年)の日本時代における創作と取材には、セツ(1868~1932年)の協力と同行が欠かせないものでした。二人の生活のひとこまを『思い出の記』から紹介したいと思います。
セツの『思い出の記』は、八雲とセツとの仲むつまじい夫婦関係を知るだけでなく、八雲の最高傑作といわれている『怪談』誕生の秘話を知るうえで、きわめて貴重な作品といえます。
『思い出の記』は、八雲の没後、セツが、八雲の信頼していた友人、三成重敬に請われるまま語ったものですが、三成が速記し、編集し直したものです。三成がセツを上手に導いて、一つの「文学作品」にまで仕上げた名品といってよいでしょう。三成の編集ぶりも見事だと思いますが、何よりもセツの語り手としてのすばらしさを、見落とすわけにはいきません。
セツの『思い出の記』には、八雲とセツの『怪談』完成の秘話といってよい創作現場の生なましさがつぶさに語られています。…続きはこちら
最初の夫は貧乏がイヤで1年で逃亡…朝ドラ「ばけばけ」のモデル・小泉セツと外国人男性が結ばれた不思議な縁
(2025年9月29日公開)
松江城北側の堀に沿って続く500メートルほどの通りは「塩見縄手」と呼ばれる。堀尾吉晴が慶長12年(1607)から同16年(1611)にかけて松江城を築いた際、城地に選んだ亀田山とその北側の赤山のあいだを掘削し、内堀とそれに並行する道路を敷設。道路沿いに屋敷地を造成したのにはじまる。
「縄手」とは縄のように一筋に延びた道のことで、それに沿って家中屋敷(大名に仕える家臣と家族が住む屋敷)が並んでいた。いまも昔ながらの板塀が続く。…続きはこちら
PRESIDENT Onlineで読者のみなさまから人気の高かった記事を、テーマごとにまとめてご紹介します。