代表作は虫、貝、鳥だったのに

東京都世田谷区の専光寺にある歌麿の墓には、「理清信女」と「蓮室涼圓信女」という2つの戒名が刻まれている。前者が亡くなったのは寛政2年(1790)8月26日。つまり、第38回で描かれた地本問屋仲間結成の少し前だ。

歌麿の私生活については記録がないが、「理清信女」が妻だった可能性は指摘されており、その場合は「清」が名だったと考えられる。「べらぼう」での役名「きよ」はそこから取られていると思われる。一方、文政8年(1825)に亡くなった「蓮室涼圓信女」は、娘だとも後妻だとも推測されている。