親の期待に応えられない子どもの絶望

親御さんに悪気があるとは、僕はまったく思っておりません。

お子さんの幸せを願うからこそ、「学校に行ってほしい」「生活習慣を整えてほしい」「社会とつながってほしい」と願われるのだと思います。僕も、そうした親御さんの切実なお気持ちを、これまで本当に多く伺ってまいりました。それ自体は、決して悪いことではありません。

ただ、それが結果的に、お子さんにとって「自分を縛る鎖」になってしまうことがあるのです。

「親が求める姿」「社会が求める普通の姿」――つまり、一般的、理想的、あるいは“最低限こうであってほしい”とされる姿に、自分がかけ離れてしまっていると、お子さんは日々痛いほどに感じています。

お子さんが不登校やひきこもりの状態にあるとき、親御さんが落ち込んだり、ストレスを感じてしまうと、子どもは「自分が存在しているだけで、親に迷惑をかけている」「自分はこの家族にとってお荷物なんだ」という強い自責の念を持ってしまうのです。

そうなると、「自分には存在する価値がないのではないか」「いっそ死んだ方がましだ」「なぜ自分を産んだんだ」というような、強い葛藤や叫びを親にぶつけてしまうこともあります。それは、親の期待に応えられない自分や、ありのままの自分を認めてくれない親への深い絶望から発せられている言葉なのです。

暗い部屋で途方に暮れた男
写真=iStock.com/kuppa_rock
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「ひきこもり」に至るまで

もちろん、子どもたちも最初から「不登校・ひきこもりになろう」と思っていたわけではありません。

なんとかそこから抜け出したいと「動こう」「変わろう」「少しでも前に進んでみよう」と思い、自分を奮い立たせてきたはずです。しかし、そのときも親の価値観が大きなプレッシャーになっています。お子さんは親御さんの期待を敏感に感じ取っているのです。

「ここで失敗したらどうしよう」「うまくいかなかったら、また親をがっかりさせてしまう」――こうした思いが、お子さんに必要以上のプレッシャーを与えてしまい、なかなか最初の一歩を踏み出せなくなってしまいます。

あるいは、踏み出すことができたとしても、無理をしすぎてしまい、結果としてまた学校に行けなくなってしまったり、社会とのつながりを築くことが難しくなってしまうということが、実際に起きているのです。