暇な公務員だったので本を書く時間があった
南畝は「早熟な天才」「神童」と評されることもありますが、新たな師匠の賀邸も南畝を見て「この児は大成する」と予言したとのこと。賀邸は儒学や国学を学び、更には「江戸六歌仙」の1人として有名だった人物。南畝が後に戯作や随筆、狂歌の世界にまで進出し名を高めたのは、少年期から賀邸のもとで学んだことが大きかったとされています。
南畝は17歳の時、御徒士として出仕しますが、仕事は楽でした。月に数回ほど出勤すれば良いからです。貧しく金はないが、余暇がたっぷりあったこともマルチな文化人・南畝の誕生にいくぶんかは寄与したと思われます。その後、南畝は生涯の師とも言うべき儒学者の松崎観海(太宰春台の門人)に入門し、漢学を学びました。そして18歳の時にデビュー作『明詩擢材』(明詩を題材にした作詩用語字典)を刊行しているのだから、南畝が「早熟の天才」と言われるのも頷けます。
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