どちらにしても大卒は生産・営業の現場に優先的に配属されてきたが、バブルが始まって風向きが変わった。管理部門に大卒社員が増え、社内で勢力を増してきたのだ。これは仕事が専門化したことの影響が大きい。それまで管理部門の業務は主に手作業で行われていたが、OA機器の普及で電子化が進み、従来とは違うスキルが求められるようになった。

同時に、大量採用されていた団塊の世代が中堅になったことで、生産や営業の現場で管理職ポストが不足し始めたことも見逃せない。年功序列で昇進が約束されていた当時、現場にポストがないからといって、平社員のままで放置しておくわけにはいかない。その結果、現場から管理部門への配置転換が進み、ホワイトカラー管理職が増えていった。

かといって生産や営業の現場の力が弱まったわけではない。むしろ仕事は豊富にあって現場は元気だった。現場でポストにありつけなかった社員が管理部門に配置転換されたことを考えると、依然として現場で経験を積んでいることが出世の条件だった。一方、配置転換された管理部門ホワイトカラーたちも、この時代特有のバイタリティを発揮して仕事をいろいろとつくりだしていったが、それは「俺たちは現場に負けていない」という必死のアピールだった。

こうした雇用環境の中で出世する社員は、どのような人材だったのか。鍵を握るのは、昇進者を選ぶ上司だ。バブル期の経営層やマネジメント層は、外向き・挑戦的な意識を強く持っていた。そうした上司は、型破りな人材を好んで登用する。象徴的な例は、久夛良木健さんにプレイステーションの開発を許したソニーの大賀典雄元社長だろう。家庭用ゲームの独自開発はリスクが高いといわれていたし、久夛良木さんはけっして本流ではなかったが、あえてチャレンジを許し、ソニー・コンピュータエンタテインメントの社長に据えた。おそらくソニーにも正統派の出世コースはあったに違いない。しかし、必ずしもそれにこだわることなく、上司は「こいつは何かやってくれるのでは」と期待させる人材を引き上げた。

この傾向は中小企業でも同じだった。前例のない事業や企画に挑戦しても失敗のリスクが少なく、挑戦すればするほど売り上げがあがった時代だ。上司は過去の実績に拘泥せず、新しいことに挑戦する意欲のある部下を昇進させていった。とはいえ、当時は、あくまで年功序列の中での能力主義。昇進しやすかったのは、単にリスクに積極的に挑戦するだけでなく、年功序列の中でじっくり能力を磨いて順番を待つ「実力者タイプ」だった。

この時期、出世はできずとも、会社から弾き飛ばされてしまった人はほとんどいなかったはずだ。会社から去るのは、年功序列による順番を待ち切れずに転職した人くらいのもの。サラリーマンにとって、この30年でもっとも幸せな時期だったかもしれない。

※すべて雑誌掲載当時

(構成=村上 敬 撮影=澁谷高晴)
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